副産物

今日はちょっと余談を。


私が、自分の学習の場を英語圏に移したことで手に入れた副産物の話です。


それは、クリーンランゲージの世界には、日本が好きな人がたくさんいたことです。

そして、その人たちが日本のいいところを、私にたくさん教えてくれたのです。


最初は小さなことでした。

あるワークショップで、私が持っていた文房具が注目を集めました。

みんなの興味を引いたのは、繰り出し式の手が汚れない芯が交換できるクレヨンでした。


「むっちゃ日本て感じやね!」と、人々は言いました。

(基本、私の頭の中で、英語は関西弁に翻訳されます。英語の時は、関西のりでいくとユーモアがちょうどよく、私の性格もそのままいける感じです)


私は、ふうむ、これが日本なのか、と思いました。

先生は、「その筆箱も、すごく日本って感じよね」と言いました。


そのとき私が持っていたのは、ありふれた布でできた筆箱でした。


そして、その後2人ほど、その場でそのクレヨンをネットで買っていました。

私は日本の貿易に少しだけ貢献しました。


そのことがあった後、私は、自分にとってありふれたことが実はありふれておらず、リソースなのではないかと考えるようになりました。


そして、自分が日本人であることを、全面に打ち出しはじめました。


これにはコミュニティの中に日本の居場所を作りたいという思いもありました。

ですが、それとは別に、日本人であることがリソースとして働くことに気づいたのもありました。



ワークショップのペアワークや講座の休み時間に、「日本が好きやねん」と話してくれる人たちにたくさん会いました。

その人たちは、日本のいいところを話して聞かせてくれました。


私は、ああ日本っていいところなのね、と思えるようになりました。


同時に、「日本人は話がまわりくどくて長い。なんで?」と、考えてみたこともなかった日本人の特徴も聞くことになりました。

(文法の関係ですね。日本語をそのまま英語にすると、まわりくどくなります)

幸い、私は、まだ、英語で長い話はできませんでした。

私の文章は、語学力の関係で、いつも、短かかったのです。

あとは、こちらも、関西ののりは、基本、周りくどくはないため、それがちょうどよかったのかもしれません。


(周りくどいと「何が言いたいん?」とつっこまれることがあります)



やがて、ある2つのことを、本気でうらやましいと思っている人たちが少なからずいることを私は知ることになりました。


ひとつ目は戦争が「できない」ことです。


何より日本のそれがうらやましいと感じている人の数は、少なくありませんでした。


日本の昔の軍隊は恐ろしかったと習って記憶している人は、こちらも少なからずいました。

しかしながら、現在、日本は戦争ができない。

決して弱くはないのに戦争できない。

それがうらやましいと。



うらやましがられていたもう一つは、高齢者の認知症対策でした。

日本は認知症対策の先進国だということを、私はイギリス人の人たちから教わりました。



私の知らない日本の姿をたくさん教えてもらい、それが、私の中で、日本への愛着を育てたこと。


それが、私が得た副産物です。