そこに何があればいいのか?

私の体がUFOに乗ったら(メタファー)、新しいテーマが登場した。

私の興味が別方向に向いた。


そして質問が浮かんだ。


いかに人は記憶し、いかに人は理解し、いかに人は学ぶのか?


どう訳せば、どう書けば、どう語れば、より人が理解できるのか?


そこに、何があればいいのか?



そして、質問が浮かび始めたと 同時に、UFOは事の進みを早くした。

UFOは、「時間と空間を超える。超早い」と私は確かに言ったけれど、これは超早いも早い。


三週間前に、「私は未来はこうなりたい」とメールに書いたばかりのことが、ほどなく現実になりそうな気配がある。


私は、来年からそのための勉強を始めるつもりだったのだが、勉強を始めるその前に、先に、仕事として成立しはじめそうな気配がある。

学びながら仕事する感じになるかもしれない。



そして、そこまできて、私は思いだした。

いつか数年前に、ここに書いたこと。


自分が勉強すること、私が学ぶことそのものが仕事になればいい。

自分は勉強しているだけ。

それを人にシェアするだけ。

それが仕事になればいい。


私は一日中でも書き続けられる。

自分はただ好きなことを書くだけ。

それが仕事になればいい。



そんなうまい話がどこにあるか〜!と、私はその時思ったけれど、もしかしたらあるかも知れない。


なぜならば、私は気がついたからだ。

自分はそれが好きだが、それが好きじゃない人たちも世の中にはいて、代わりに勉強してくれる人が必要なことがあることに。


言葉にはタイプがある。

それそのものが最初に発せられたタイプの言葉では理解しにくい人たちがいること。


理解と記憶の構造が違うからだ。



それそのものは、賢い人たちが構築している。

賢すぎるくらいだ。

話は概念まみれである。

言葉を言葉のままで記憶できる人たちが作るものは、そういうものが多い。


私の仕事は、それを果てしなくシンプルにして、違うタイプの言葉と一緒に語ることかもしれないと、ふと思った。


今でこそ、私の日記は、概念用語でいっぱいだが、そもそもは違う。

私は概念が苦手だ。(だった。)


ブログが概念用語だらけになっているのは、私が、概念を理解するためと、概念を使う体験を日常でするためと、概念用語を使う練習をするためだ。


このブログは、私の頭のなかを、ただ大っぴらにしているだけなので、何を書くかは、その日の気分でしかないからだ。


そして面白いのは、今のブログの方が理解しやすいという人と、今のは難しいという人と、両方の感想をもらうことだ。


前と今の違いは、いくつかある。

私は、書き分けできる。

ただ、わかったことには、書き分けると、なんらか理解できないグループが登場するということだ。



概念。


概念には、物語がない。


物語は、概念の先に生まれる。


概念を理解しようとした時に、物語は生まれる。



そしてそれから、私がサポートできることは何?という質問が頭に浮かんだ。


理解しやすいように体験する機会を作ること。


日本語を用意すること。


日本語で書くこと。



ここまではもう手をつけている。



他に何かある。

まだ他に何かある。



私がサポートできることは何?



そして、私は、UFOがうい〜ん、うい〜んと、何かサーチを始めるのを感じた。