時系列の力
人の話を聞くときは、自分の頭の中で、その中に含まれる出来事を、話の筋が論理的に通るように時系列に並びかえてから、話を聞く。
…という練習にただいまクリーンランゲージ&シンボリック・モデリングで取り組んでおりまして。
今やってるオンラインシリーズが、そのような感じのことのため。
ふうん、並びかえるのね、なら簡単!と、最初の課題に取り組もうとしたところ、私は、即座に、ん?となった。
最初の課題の文章はこんな感じ。
「私が人生にもっと感謝するには、あの日起きたことから学ばないといけない」
この文章には、四つの出来事が含まれていて、それを並べろというのがお題。
出来事を探すのは、簡単。
とりあえず、動詞のある場所には、何か出来事がある。この場合、動きが出来事だ。
話は出来事の数。
4つ、出来事があるという。
私は悩んだ。
3つしかないね、と。
文章では直接触れていないある状態が推測はできる。
それは、「もっと感謝する」という言葉だ。
もっとと言っているからには、この文章を語っている今にも、語る以上の出来事が含まれている、かもしれない。
つまりそれは、「今、人生に感謝している」という出来事が、書かれてはいないが存在しているかもしれないということ。
これ以上はネタバレになるので書かないけれど、この課題の楽しさは、そこに正解がないこと。
解いた全員の答えが違う。
一人一人、物事を理解する方法が違う。
さらに、図式化して、みなのそれを照らし合わせたら、話はさらにひっちゃかめっちゃか、個性の集合みたいなことになる。
私は、クリーンランゲージの話のこの部分が大好きだ。
誰一人、同じではないこと。
普通、が、そこにはないこと。
この場合、そこにその人自身が、この世を理解するために採用している「時間のモデル」が存在するからだ。
この世はみな、同じ時間を生きているはずではあるけれど、もう、笑えるくらい、人はバラバラだ。
ただ、そこに、どんな時間のモデルがあろうとも、話として筋が通るように出来事を並べかえた順番は、みな同じだった。
これはすごいことだ。
なるほど、だから、並びかえろと言ったのだなと思った。
そこには共通理解があるから。
けれど。
それだって、実際は、その順番通りに起きるかはわからない。
でも少なくとも、「まあ、理屈としては、こういう順番だろう」とみなが思った順番は同じだった。
同じなのは、順番だけ。
過去と今と未来の順番で、時間は流れているという共通認識がそこにはある。
今日の次は明日。
今日寝て、次に目が覚めたら、昨日にいることはない。
みなが、生まれたときから、刷り込み続けた体験だ。
実は、新しい昨日にいるかもしれなくても、私たちは誰一人気づけないだろう。
などということはおいておいて。
あとはネタバレになるから、受ける人がつまんなくなるので書かない。
ようは、話のどの単語に注意を向けるか、耳をさらに鍛えていくために、言葉には裏側があるということを意識する練習みたいな感じ。
脳トレ。
そして朝起きて、私は思った。
じゃあ、これなら?
「人生に感謝するのは、いつでも、過去に起きたことが自分なりに理解できて、そこから何かを学んだ時。
だから、この前起きた出来事にも、何が起きたかを理解できたら、きっと、もっと人生に感謝できると思う」
さて、この文章の中にある出来事を、時系列に並べてみたらどうなるか?
実際に人の話で登場するのは、こんな感じの話だ。
さて、どうなるか?
一文でも、話は相当、それぞれ個性的だった。
私のモデルはどうなってんだろう?
後で、図にしてみよう。
まずは、話を時系列に並べる。
まるで事故報告書を書くときのように。
日常で使える技としては、自分のことを考える時、思考が混乱しやすい人は、その思考のもとになってる出来事を、紙に書き出して、時間順に並べるといいかもな。
すると、少し、考えやすくなるかもしれない。
前後関係を明らかにする、とか、言いますもんね、日本語だと。