それが、望み、だ。
もしも、「戦争がない世界」のことを、「平和」というなら、「その平和」は、クリーンランゲージの理論的にはアウトカムではない。
言葉だけで判断するなら「その平和」は、問題回避策(レメディ)であって、多くのレメディと同じように、一時しのぎだ。
もしも、クライアントがセッションで、何が起きればいいか尋ねた質問への答えに、「戦争がなくなればいい」とか、「戦争がない平和な世の中が欲しい」とか答えたなら、私は、それを、クライアントの望みとは認定しない。
その世界を発展はさせない。
もう一つ質問をする。
現実的にも、「その平和」が一時しのぎでしかないということを、歴史は見せつけてきた。
意識は世界を作る。
もしかして、私たち、そして過去を生きた人々が心に抱いた「戦争がない平和」への願いが、人類が、恒久的な平和を手に入れる妨げになってきたのではないか、と、ふと思った。
人類が本当に望む平和は、もっと異質なものではないのか?と。
そちらを、もっともっと、私たちは望まなくてはいけないのではないか?
「平和」とは何かという概念を、間違えてきたのではないか?
戦争がない世界があると、それから何が起きる?
この質問への答えを、もっともっと追求する必要があったのではないか?
クリーンランゲージだけでなく、21世紀に人類がたどり着いている多くのセオリーからいくなら、祈るならば、そちらだ。
平和、すると、何が起きる?
戦争がない、それから、何が起きる?
イメージするのが難しい時ほど、イメージは力を発揮する。
「問題がなくなる。すると、何が起きる?」
それが、望みだ。