ある家族というあるチームの最終章

ここ最近、両親からの引き継ぎ事項が多い。
諸事情で、昔の話をメインにすることになっていることもあると思う。
最近、チャンスを見つけては、皆で夕食を食べようとするので、家族が集まる機会が多いが、家族が集まると、もう、昔話オンパレードだ。

その中で、私は、自分の過去がさらに書き換えられていくのを感じている。
いつか未来で訪れるこの時間のために、もしかしたら、過去の若き私は死に物狂いで頑張ったのかもしれないとすら感じる時がある。

今、この時、家族の中にいられるように。

この辺は、もう、前のブログから足掛け10年に渡って書いた長い長い家族の物語なので、詳細は省略。
とりあえず、私の話を聞いた全員が、「それは無理だ」と言ったことを私はやり遂げた。ほとんど奇跡だ。

傷だらけで「そんなに生きているのが辛いなら、死ぬのも悪くないかもしれない」と父が言った人生のどん底にいた若き私が目論んだのは、自分の癒しではなかった。
私は、家族丸ごと癒やそうと思った。
私に起きたことは、「家族の病理」だと習ったからだ。
たまたま、私に症状が現れただけで、私に起きているのは家族の病理だと。
病んでいるのは君ではない、病んでいるのは君の「家族」だと。

M先生が、私に言ったもう一つのやってごらん、は、「君が自分を癒やそうと頑張ることで、家族を癒せる可能性がある。誰か一人が変わろうとしたとき、家族まるごとが変わり始める可能性がある。君はまだ若い。やってごらん」だった。

(これは今、初めて書く)


自分だけなら、もう少し早くできたかもしれないが、私は、家族丸ごとやろうとしたので、長い時間がかかって、それは、数年前にようやく終わった。
けれど、家族全員が、もしも、同じものを願っていなかったのであれば、これは成功しなかったと思う。

どちらも複雑な家庭で育った両親が「仲のいい家族」を心の深いところで、求めたことは大きかったかもしれない。彼らは、ただ、やり方を知らなかった。なぜなら、彼らは、見たことがないものを作らなくてはいけなかったから。

というのが、現在の私の理解だ。

まあ、あとは、私は、傷ついてる状態の自分は好きじゃなかったというのは大きいと思う。
なんか、おしゃれじゃないのよね、とそこは非常に軽い理由で。

私は、基本は、おしゃれかおしゃれじゃないかで全てを決めているところがある。
私は根底が非常にチャラくてミーハーだ。
シンボリック・モデリングが好きなのも、どこかで、シンボリック・モデリングやクリーンランゲージは、ベタベタしてなくておしゃれだと感じているのがあると思う(笑)
洗練された質問、とか言いますね。

生粋のロンドンボーイと元チアリーダーの生み出した技法は、都会的でスマートだ。
距離感の取り方が絶妙だ。

人助けをおしゃれにスマートにしていけないというルールはない。
(個人の解釈です)

話を戻そう。


・・・というわけで、家族が集まると、昔話が行われ、そこには、「自分が知っている過去とは異なる視点で見た同じ場面」の話が現れる。

私以外に3人の人(父、母、妹)がそこにはいて、それぞれが、「同じことについて異なる記憶」を持っている。

それが非常に面白い。

母の記憶は、飛んでいることが多い。
「お母さんは、それは全く覚えていない」という発言をよくする。

この人は、大体の「楽しいこと」を覚えていない。
それで、母の記憶は、「苦労に満ちた人生」となっている。

記憶の中、常に母は被害者だ。
その世界観を崩す記憶は、もちろん排除されている。
これ、セオリー。

(だから、世界観をどのように構築しているかは、人生に非常に大きい影響を与える)

「まあ、そんなことがあったのね」と話を聞いた母はケラケラ笑い、私は、ああ、これは癒しの最終段階が起きているなと思っている。
新しい過去の上書きだ。

苦労もあったけれど、同じように、楽しいこともあったのだという事実の確認。
認知の歪みの修正。

どう考えても、育つ過程で一番ひどい目にあったのは、母であろうから、(この人が幸せな育つ過程を経ていれば、私の身に起きたひどいことは、一つも起きなかったんじゃないかと思う)、この人が、「楽しい過去」を聞いて、ケラケラ笑うことは非常に重要だ。

(観察癖のある娘は厄介)


それを、家族全員で集まると、昔話をするしかないから昔話をしているという状況が生み出したことに、私は心から感謝を覚える。

妹が覚えている記憶が、また、私のものとは違って、これまた興味深い。


妹の記憶は、「いかに妹はできた子供で、私はひどいか」だ(笑)
それを聞いた姪っ子(妹の子供)が、「わかるわ。そんな感じやな」とゲラゲラ笑う。
妹の記憶する私は、相当ひどい。

私は大体「塾に行かせてもらえなかった!」という話をする。
私は、高校三年生の夏休みに予備校に二週間通った以外は、塾に通ったことがない。
理由は、夜、私を外に出すと不良になるから(と両親が信じていたから)だ。

二週間通った予備校では、一緒に行っていた友達と14本、映画を見たので、両親の考えは、あながち間違ってはいなかった。
映画の話は、家族は知らない。
一緒に通った友達は、先週、その話をしていた。
あれは、どちらにとっても、人生で一番映画を見た夏だった。


そんな昔話の中、父が私についての評論で、何度か同じことを言った。

「お前は本当に、小さい頃から物怖じせん子供やった。
 相手が誰でも、ニコニコ、好奇心を前面に出して近寄って。
 相手が外国人でもや。
 お前は、言葉がわからないことを気にしてる様子が全くなかったなあ。
 普通、そういうとき、小さい子は親から離れようとせえへんもんやけどな」

母も言った。

「そうよ。
 誰とでも仲良くなろうとするから、いつか、さらわれると思って心配していたのよ。
 一人で走っていっちゃうし。
 お母さんは何度あなたを追いかけたか」

私はいう。

「5歳の時に連れていってもらったピクニックで食べたアボガドは美味しかったなあ。
 あれより美味しいアボガドは、食べたことがないわ」

妹はいう。

「私が、一人でアイスクリームを買いに行っている間に、お父さんとお姉ちゃんだけで隠れて行ったやつね」

(3才の子が、一人でアイスクリームを買いに行ける時代だった)


そして、てんでバラバラ同時に話しだす。
姪っ子が「また、全員同時に話している」とゲラゲラ笑う。

私の実家は、全員同時に話す。
会話はクロスして、喋りながら、他の人が言っていることを聞いて、それに返事をしたりする。
夫が初めて家に来たときに、それを見て恐れおののいていた。
(夫の家は、とても静か)


昔話しかできなくなったという縛りが、思いがけず、家族それぞれの心に、それぞれ何かを起こしている気配を感じている。


私たち家族の最後の時間に、優しい時間が流れているのを感じる。
きっとそれぞれが、家族を癒やそうと頑張ったのだ、これは、家族というチームだと、今、私は感じている。


最終章としては、悪くない。