ダマスカスの道
小さな話。
最近。
「ダマスカスの道」という英語の慣用句をどう訳すか、しばらく悩んだ。
「目からうろこ」と訳すか、「突然の転機」と訳すか、または、「ダマスカスの道」と訳すか。
普通は、突然の転機、と翻訳される。
ダマスカスの道と、目からうろこは、出典がほとんど同じタイミングで起きた同じ話だ。言っているのも、ほとんど同じことだ。
出典、聖書。
「シェイクスピア(英文学)を理解するには、まず聖書を読みなさい」と、大学時代に習ったけれど、その世界観は、文学でない文章にもあちらこちらに現れる。
ちなみに、私は、クリスチャンだ。
クリスチャンになってよかったことのひとつは、スターウォーズがさらに面白く見られるようになったことだ。
あの話のたたき台は、聖書だ。
スターウォーズの設定は過去だ。
そして私は、スターウォーズが過去の話というところに、一票を投じる。
というわけで、パウロが、ダマスカスの道で経験したことが、現在につながるキリスト教の誕生に大きく影響したことは知っている。
それがなきゃ、少なくとも、新約聖書の半分近くがなかった。
新約聖書の半分近くは、筆まめパウロが書きまくった手紙だからだ。
そして、ダマスカスまでは、パウロは、ジーザスを信じてはいなかった。
今も、私が住む国では、宗教と政治の話で持ちきりだが、キリスト教の誕生は、一国の話ではなく、仏教やユダヤ教、イスラム教の誕生のように、その後の世界のありように数千年間の間、大きく影響している。
この突然の転機、は、それくらい大きな変化を伴う突然の転機だ。
長きに渡り、間違いなく発行部数が世界一の世界的ベストセラーの本が生まれることになったきっかけのきっかけ。
元の英語の文章を書いた人は、言葉のプロだ。メタファーのプロ。
私は、彼から、クライアントのメタファーは言葉を変えるなと習った。
数ある突然の転機を表すメタファーから、ダマスカスの道を選んだのは、適当に選んだわけでもあるまい。
そして、突然の転機と、そのまま書かなかったのも。
道には、形がある。
転機には形がない。
話は変化の話。
そして、メタファーを使う技法の話。
ダマスカスの道は、メタファー。
そのシリーズの中は、建築関係のメタファーである程度、統一されている。
世界観が。
しかし、ダマスカスの道は、おそらくは、ほとんどの日本語ユーザーにはピンと来ない。
ダマスカスってどこ?
道があるから、場所だとはわかるくらいなもん。
目からうろこはピンと来るだろうが、目からうろこがパウロの話と知る人も少ないだろう。
そして、私が感覚的に知る限り、目からうろこは、転機というより、新しい見解を急に得た!みたいな感じで使われている。
そして、道と目やうろこは、形が違う。
私は、その人が書いたものでなければ、迷わず、突然の転機と訳しただろう。
結局、私がしたことは、ダマスカスの道とそのまま訳し、訳注で、これは聖書の話です、と少しだけ世界観がわかるようにエピソードを書いておくことだった。
その作業をしたあと、私は、なんだか満足感に包まれた。
書き手の世界観を大事にできたような気分になったからだ。
そして、私がしたいことは、できるだけ、クリーンに翻訳することだと気がついた。
けれど、日本語だとピンとこないところを、できるだけ、書き手の意図にそう日本語にすることと。
その文章は、私のものではないからだ。
つまり、私は、彼の文章をモデリングしてる。
そこには、壮大なメタファー・ランドスケープがある。
彼が翻訳に何を求めているかは知っている。
function、機能、だ。
私は、そうか、翻訳も、モデリングかと気づいた。
そして、私は、自分が、翻訳作業に、クリーンな質問を無意識に使っていることに気づいた。
訳に迷ったときに、頭の中で、勝手に質問してる。
この四つ。
それは、どんな〜?
他に何かある?
そして〜すると、何が起きる?
あなたは何が起きればいい?
クリーンな質問を使って、ノンフィクションを書いているライターさんがいるのは知っている。
翻訳にも使えるな、と、私は気づいた。
なんとも便利な質問だ。
そして、ともかく、むっちゃ面白い。
私は、言葉遊びが好きなのね。
ちなみに、私が言葉遊びに徹したあと、その他の小さいことのチェックは、私とはまた別の種類の小さいことにこだわる人が、重箱の隅をつついてチェックしてくれている。
誤訳がひどいときは、また別の人が教えてくれる。
だから、私は、自分がこだわりを感じる小さなことに心おきなく集中できる。
なんとも幸せな小さな話。