現実と混じり合って、現れた、これは、自身、最強かもしれませんというリソース。

これは面白いことだが、最終章の中で、小さな頃の話を聞き続けている影響で、私の中の小さなYちゃんの持つ記憶が、するすると蘇っている。


熱を出してしょっちゅう幼稚園を休んだり、どうやれば幼稚園にいかないで一日中遊んでいられるかを一生懸命考えたりはしているが、元気いっぱいのご陽気なYちゃんの見た景色だ。


Yちゃんは、小さな子供なりの知恵で、諸事情から、なるべく家にいないようにしていた。

Yちゃんのお母さんは、寝込んでいることも多かった。

どうしていたかというと、Yちゃんは、近所に、自分の家のように過ごせる家を6軒持っていた。
同じくらいの年齢の子供のいる家が、近所にはたくさんあった。
何しろ、Yちゃんは、日本で一番人口が多い学年に属する子供だった。
Yちゃんの過ごす家の一部は、母すら知らなかった。
Yちゃんはそこで、優しいおばちゃんたちを笑わせたり、友達と遊んだり、自分の家にはないおもちゃで遊んだりして、たくましく過ごしていた。
Yちゃんは「そうぞうせいをはぐくむきょういくほうしん」とかいうもののために、誕生日とクリスマス以外は、あまりおもちゃを買ってもらえなかった。
Yちゃんのお母さんは、大人に話すようにYちゃんとは話していたので、言葉が難しいことがたまにあった。

「ちいさくてもにんげんだから」という、これまた、Yちゃんにはよく分からない言葉が理由だったが、Yちゃんは、お母さんの言葉は冷たいと思っていた。


Yちゃんは、夕方、晩御飯近くなると、自分の家の前の二軒の家のどちらかに移動して、そこで、お母さんが呼びに来るまでいた。
この二軒の家のおばちゃんは、Yちゃんが赤ちゃんの時の写真にも写っている。
Yちゃんとは、生まれた時からの知り合いだった。
Yちゃんのお母さんとも、お砂糖や卵を貸し借りしたりして、仲が良かった。


時は昭和で、コンビニエンスストアの登場や、スーパーが夜中まで開いているようになるのは、もう少し後のことだ。



母が覚えている当時の私の発言に、私が近所中で、「どうしてうちのお母さんは、いつも寝てるん?」と尋ねて回っていたというものがある。


「あなたが言いふらすものだから、もう、困ったわ。本当にしんどかったのよ」と母は今、笑いながら言う。


Yちゃんがお母さんのしんどさや振る舞いの理由、そして、それがどこから来たか(Yちゃんのせいではないこと。そして、お母さんにも子供の時代があったこと)が理解できるようになるのは、その数十年後のことだ。




このYちゃんが見た景色が、おそらくは、これまで、私がしてきたことの根っこにある。

Yちゃんが解決したくてもできなかったこと、それから、Yちゃんの好きだったこと、Yちゃんの望み。



そして、と、最近、私は思った。


それらは全て、叶ってしまった。



すると、次に、何が起きる?



最近まで、私は、近頃の私とYちゃんを結びつけては考えてこなかったのだが、最近、「全く新しいランドスケープ」が、自分の中に登場したことで、そこに気がついた。


たまたま現れたそのメタファー・ランドスケープは、これまでのランドスケープの延長線上にはなかった。


そのメタファー・ランドスケープが現れるのに要した時間は、3分。

3分だったのは、制限時間が3分のセッションだったからだ。

私は、3分ごとにパートナーと役割を入れ替えてワークするというワークをしていた。

相手は初めて組む人だった。

どこの国の人だったか、よく分からない。

(クリーンランゲージのコミュニティには、いろんな国の人がいる。私が物怖じしないのは、父の話から幼少期からだったことが最近確認できた。好奇心が強い性格だ。)


その3分で、全く新しい「真っ直ぐな道」があるメタファー・ランドスケープがそこに現れた。

私のメタファー・ランドスケープに、これまで道は現れてこなかった。ほとんど。

これまでは、大体、空か海が相場だった。
道だろう部分は、川が多かった。


しかも、その真っ直ぐな道の上にいたのは、小さなネズミだった。
好奇心いっぱいの小さなネズミ。


これまた、何というか、今までのものとかなり傾向が違う。
ネズミだから、遠くまでは見えないと、私は言った。


この小さなネズミは、ちいさな一歩でちょろちょろと動きまわり、いいものをたくさん見つけるのだ。


真っ直ぐな道の上で。

ワークのパートナーから、「そこに何かサポートやリソースは必要か?」と続けて尋ねられて、私は答えた。


「特にサポートは必要ない。好奇心が必要だけど、私は好奇心を抱くのはとても上手だ」と。




そして、そのワークから、少しだけの時が経ち、私の中で、Yちゃんの見た景色と、その小さなネズミが繋がった。


メタファーとはそういう類のものである。

経験と経験をつなぐ。


過去と今をつなぐ。

今と未来をつなぐ。

過去と未来をつなぐ。


時を超えた理解の共有をうむ。


理屈抜きで。



そして、現実を動かす。



そして、私は、その小さなネズミは、Yちゃんだと理解した。

そして、それから、私はYちゃんを振り返ろうとしたが、そこに努力は必要ないことがわかった。


なぜなら、ここ最近で、両親、妹が私に語っているからだ。
Yちゃんがどのようであったか。
Yちゃんの特徴、Yちゃんの場所、Yちゃんの強み。



「もしかすると、この小さなネズミは、これまでで最強のリソースじゃないか?」と、ふと、私は思った。


今までの中で、一番小さいしょうもなさげなリソースだが。



なぜなら、私は、Yちゃんが大好きだったネズミを思い出したからだ。

世にも有名な、あの黒いネズミ。


ああ、もしかしたら、というか、多分、というか、自分の中の最強のリソースが登場したかもしれない。


これが、私の人生をどう変えるのかは、ここからのお楽しみ。

私がメタファーを採用し続けているのは、多くのメタファーを採用している人と同じように、それが人生を動かすからだ。



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ともあれ、全く新しいランドスケープが登場したので、ちょっと質問しておきましょう。


「そして、今、全てがこのようである時、あなたは(自分に質問する時は、私は)何が起きればいいのでしょう?」

新しいアウトカムの確認です。
のでしょうは、省略可。場合によっては、方言の言い回し可です。


または、


「そして、全てがこのようであると、次に、何が起きますか?」


時間を前に動かしてみます。

「ますか」の部分は、言い回しの変更可。

話がメタファー・ランドスケープであれば、「何が起きるの?」とかの方が反応がいいことが多いです。

ケースバイケース。


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さて、何が起きる?