心と現実

経験上、何か問題があって、それをクリアするときに起きる心の中の変容は、必ず現実にも形をとって現れる。

そういう意味では、意識は現実を作るは嘘ではないと思う。

だが、一方で、意識が現実を作るとは限らないのも事実だと思う。

現実に対する意識の認知が歪んでいて、それが本人にとって問題な時、意識や心が変容しても現実は変わらない。
世界は変わる。
だけれども現実は変わらない。

意識や心の中のみに問題はあったからだ。
そして、現実には問題がないと確認するだけのこともある。
そうして、世界は変わる。
しかし、現実は変わらない。

その場合、心や意識に問題はあったけれども、それでも問題のない現実がすでに存在していたわけだから、心や意識は現実に影響を及ぼしていたわけではないことになる。

私が会うのは、医療を必要としないレベル話を抱えている人、または、医療が必要な時期が終わろうとしている時期にいる人。

問題はあるが、社会生活を営めている人だ。
営めているのレベルは様々だ。


セッションを続けてきた中で、認知が歪んでいるだけのケースがとても多いということに気がついた。

また、その場合に起きることは、「変われない自分」に悩みやすいということにも。


現実に本当に問題を抱える人は、必死だ。
変われないと悩む時間はない。
変わらなければ、問題は解決しないからだ。
クライアントさんの様子も、現実に本当に問題がある人とそうでない人の様子は全く違う。


変われない自分に悩む時は、まだ余裕がある。
少なくとも、その問題は、その人の人生を破壊したりはしないと、その人の深いところは判断している。
そして、本当に変わりたいと望んでいるわけでもないかもしれない。

望んでいるなら、望みを叶えない理由はない。
何よりも優先されるのは、本人の望む心だ。

変われないという悩みは、その人が変容するなら、よりよき人生になる可能性があるということを同時に伝えている場合もあるし、世の中に流されているだけの場合もあるかもしれない。


現実に問題はなくても構わない。
ほかの人が抱えていても、また、それまでの自分の人生の中には、常に問題があり、問題がない状態に慣れていなかったとしても、別に問題はなくて構わない。


悩みを抱えていたい、という望みを手放しても構わない。

成長し続けなければいけないという呪縛から解き放たれても構わない。


今、ある現実に、ただ感謝して生きるという人生があっても構わないと、時々思う。


私?

私は、成長し続けることを選択した。
そうしなければ叶わない望みを抱えているからだ。
それでも、それが自分の喜びでない日が来たら、やめるだろうと思う。


私がこの世で確実に幸せにできるただ一人の人が、私だからで、私は自分の幸せを他人には委ねないからだ。
なぜなら、幸せは心の中にしか存在しないからで、心の中の責任を他者に任せられるほどには、私は人を信用していない。

多くの人の協力の元で、幸せな現実はなりたつ。
そこには感謝しかない。
しかしながら、心の中は違う。

私の心は、私のものだ。