感覚のある場所
いつも面白いなと思うことのひとつが、希望と絶望と恐れや喜びのある場所だ。
それらは、全部、心で生まれ、心に存在し、心から離れていく。
それらが同じ場所にあること、それが面白いなと思うのだ。
そして、それらは、同時に存在することもできる。
希望と絶望という真反対で相容れないように見える感覚でさえ、同じ場所に存在できる。
一人の人間の中に。
それがとても面白い。
そしてまた、それらが生み出されるものであることが面白い。
そして、同じ事象から、同じものが生み出されないのも面白い。
同じ事象を体験した人が、その事象から見出す感覚は千差万別だ。
だれかにとって絶望感を与える事象は、違う人にとっては希望感を抱かせる事象であることすらある。
同じ事象を体験したからといって、だれもが同じ感覚を抱くとは限らない。
その事象のどの面に目がいったか、要するに、どういう視点で、どこに焦点を合わせて事象を体験したり眺めたりしたかで、生まれる感覚は変わる。
希望も絶望も恐れも喜びも、なんて適当な根拠から発生するいいかげんな感覚だと、時々思う。
何か科学的、物理的な万人に当てはまる根拠があるわけではない。
善悪の根拠も、時代、環境、個人でいくらでも変わり、これほどいいかげんなものはない。
でも、その個人の視点、焦点といういいかげんな根拠に基づいて生まれたそれらの感覚は、人生を動かす。
なかなか、あなどれない。
全部、同じ場所にある。
そして生み出し続けている。
それが、とても面白い。