自分が自分の言うことを聞く

過去に長い時間をかけて取り組んだことのひとつに、「自分が自分の言うことを聞くようにする」がある。

人生に不満爆発だった頃だ。

私は、ある時、なぜに、私は私自身の望むように動けない?と考えた。
言いたくないことを口にする、自分が損するように動く、自分の行動が望んだことにつながらないだけではなく、時に真逆の結果すら引き起こす。
そして、私は傷つく。

なぜだ?
頭と体がバラバラだ。
どうして?


当時、私の深いところは、自分を信用していなかった。
当たり前だ。

自分を幸せにしないものを自分は信用しない。

自分を幸せにしない最たる原因が自分なのだから、自分の指示に自分は従わない。
そして、自分の望みとは違う別のものを根拠に発言し、行動する。
そして、発言し行動したように、結果は起きた。


根拠は、望みではない。
根拠は、不安、不信、恐れ。
そして、傷つきたくない心。

それらには、それらが生まれたそれなりの理由があったけれど、その理由は過去にあった。


私が最初にしたことは、過去と今日を分離させていくことだった。
私は、「今は過去じゃない。だけど、すぐに過去になる。後悔する過去を、自分の手でこれ以上、生み出すのはごめんだ」と思った。

過去の自分については、とりあえず置いておこう。
過去の自分は気づいていなかったのだから。

でも、今日の自分は気づいてる。
今日もすぐに過去になるということに。
そして、今、私が抱える過去よりも、これから私が生み出す過去の方が長い。

過去は変えられる。
少なくとも、今日から始まる過去は変えられると私は思った。


私が望んだのは、自分の言うことをちゃんと聞き、自分を幸せにしようと努力した自分が存在する過去だった。

私は思った。
私は大人だ。
自分の幸せに責任があるのは、自分だ。

幸せは心が生む。
だから、自分でできる。
必要なものは、幸せを感じることができる心だ。

幸せな自分の言うことであれば、自分は自分の言うことを聞いてくれるだろうと私は思った。


そして、それから、私が最初にしたことは、「自分の機嫌をとる」ことだった。
何しろ、私はすっかり私を信用しておらず、不満爆発だったからだ。


自分が動いて欲しいように、行動や発言がなりはじめるまでに、数年かかった。先に変わったのは、発言だった。
やがて、体つまり行動が伴い始めた。

意識が先だというのは、本当にそうなのだろう。

意識がついてこない部分もあり、行動だけが必要なこともあったので、「ともかくやろう」ということもあった。
どのように考えるかは問題ではない、やったかやらないかだけが結果を変える物事も、世には存在する。


なかなかに、しんどい時もあったけれど、私は、自分の機嫌を取り続けた。
過去が自分を引きずりこみそうになる日も山のようにあったけれど、そのたびに、「過去と今とは違う」と、ぶつぶつ呪文のように唱えた。


長い長い時間が過ぎて、私が私の言うことを聞くようになった後、今度は、指示する前に勝手に体が動くことが現れはじめた。
4年くらい前から。
これは、きっかけがある。
どこかに書いている。


その体が勝手に動いた行動は、後から私が体に指示するはずのことで、それを前倒しした感じのこと。

これは何を起こしたかというと、望みが叶うスピードの一部が速くなり、抱える望みの数を減らした。

そして、頭の負荷を少し下げ、より、考えなくてはいけないことに頭が使えるようになった。

自分と自分の関係性は、どこまでも進化するようだ。
それはいくらでも変わり続け、工夫し続けるものなのかもしれない。


それでも、たまに思い出す。
あの日、泣きじゃくりながら、人生に絶望しなが、小さな小さな光をたよりに、自分で自分の過去を作っていると気づいた自分。

一番しんどかったパートを担当した過去の自分のために、私は、今を生きる。
彼女のがんばりを無駄にするわけにはいかない。

私の過去を、私がぶち壊すわけにはいかない。

だから、私は、自分の言うことを聞く。

ほな、自分てなんや?という話になるが、それはまた別のはなし。