遺伝子の戦略

やり方にはいろんなやり方がありまして。
やり方について語ってみようと思ったら、浮かんだのは遺伝子のはなし。
学生時代にはまり、読み漁った本が浮かぶ。


どういうやり方を選ぶかも、個々の人生の戦略で、おおげさに言うなら、それぞれの遺伝子がここまで生き延びてきたという実績を持つ。

だから、やり方、を変えるのは大変。
それは、過去の実績という栄光を手放すに等しいからだ。

人生において、一番大事なことは、生き延びることであり、快適さや幸福などというものは、多くの場合、二の次だ。
もっというなら、遺伝子を次の世代に受け渡したら、一番大きな生き物としての役割は終わっている。

遺伝子を受け渡さないなら、価値はない。
遺伝子にとっては。

平和な時代は、遺伝子は子孫の人数を減らし、個体の生存年数を伸ばす。その方が、遺伝子が生き延びるのに確実な方法だからだ。

そして、人間は所詮、遺伝子の乗り物に過ぎない。


「安全」「慎重」「人に先にやらせてリスクを下げる」「変化しないように維持する」という戦略を持つ遺伝子を持つ人は多い。
それは、生き延びるのに、非常に有効に働いてきたに違いない。


普通に考えて、安定的な組織で働くなら、仕事でもこれらは非常に有効に働くに違いない。
タイミングを見計らってくれたり、新しいことへの変化を計画したりする他人は、組織であれば他に存在する。
また、個人で働くにしても、仕事内容によっては有効に働く。


ところが、おかしなことに、この生き延びるため、子孫繁栄のためであるはずの遺伝子の戦略が、その主戦場であるはずの場所では、逆に作用している節がある。

世代を挟んだ変化ではなく、世代の中での社会の変化に、遺伝子がついていけず、戦略を変更できないままになったのだろうとか思ったりする。

それは、結婚、という舞台だ。
本能的に性欲でいっぱいになる繁殖期に、子孫を残すことに夢中にならない人が、一世代の中にこんなに数多く登場するなど、遺伝子には読みきれなかったのだろう。
そして、そこに価値を見出さないという価値観が登場するなどとは、もっと読みきれなかったのだろう。


知り合いが縁をもってくれるお見合い制度がほぼ消えた今。
安全で、慎重、リスクの低い結婚はなくなった。
他人に先にやらせてみるというやり方は、結婚についてのイメージを悪くすることの方が多い。
幸せなだけの結婚は存在せず、そこには家族の人数分の人生が存在する。
人生の数が多いわけだから、ひとりより、大変そうに見えて当たり前だ。
むしろ、ひとりより、助け合えるわけだから、実際は、ひとりより楽であるが、「自分の人生を肯定する」という価値観が闊歩する社会では、そこには目が向かないことも多い。


安全で、慎重、低リスクを好み、他者との協調性に長けた遺伝子を持つ人達が、結婚をためらうのは当然だろう。


だけれども。
多くの人が口にする。

もっと早く、結婚しておけばよかった。

これは、40代の人より50代の人が口にする。
50代になれば、諦めがついたり、自分の選択に納得したりするということでもないようだ。

だから、私たちは、このワークショップをアラフォー限定にした。
50代の人たちの発言が、40代なら「結婚するのは簡単だ」と教えてくれたからだ。


安全で、慎重、低リスクを好み、他者との協調性に長けた変化を嫌う遺伝子を持つ人達が、苦手とすることがある。
タイミングをキャッチすることだ。

自分のタイミングに合わせて、人生は進むとは限らない。
だれかに押し付けられたタイミングが必要な場合もある。

それが。
その人の遺伝子の人生戦略の場合だってある。


どうせ人生、最後はひとりなのは、結婚しようがしまいが同じだ。
だが、ひとりでない確率は、結婚した方が上がるのだけは間違いない。
普通に計算して半分になる。

安全、慎重、低リスクの人々の嗜好には結婚は適しているはずだ。
なおかつ他者との協調性に優れていて、持続性に長けているのだから、それを持たない人々が繰り広げるより幸せな結婚ができるはずだ。


私が婚活の仕事を引き受けるわけは、ひとりで抱えこむのではなく、他者と分かち合うという人生のやり方を伝えたいからだ。

アラフォーに子孫繁栄の話は関係ない。
それは、遺伝子の野望を超えた世界の話だ。


人間の幸せになりたいと意思が遺伝子の野望を乗り越えるという壮大なテーマ、それが、私にとってのアラフォーの婚活である。