私は認知症になる

私の最近の気づき。


私は、身内の血が繋がっている人ほぼ全員が、ある年齢になるとアルツハイマー型の認知症になります。


それで、私は、彼らを観察してきました。

現在は父を観察しています。


自分が未来で、快適な認知症高齢者として過ごすために、今からできる準備は何かをリサーチするためです。


認知症予防は、(少なくとも私の場合は)ほぼ無駄だと、過去に見たケースからわかっているからです。


祖父も祖母も、予防に励んでいました。

書かれているようなことは全てしていました。


私は、認知症予防は、認知症に対する恐れと共に生きることになるため、個人的に好みません。

また私は、病気にならないために生きているわけでもないからです。



父がくれた大きなヒントは、「社会参加の効果」「好きな仕事がある効果」「自分が好きなことがはっきりしている効果」でした。


父は77才まで週に何回か会社に通っていました。

それは父が好きな会社で、父は、非常に幸せなことに、その年齢まで幸せな会社員でした。


会社を退職した後、父の認知症は一気に進みはじめました。

そうして、途中いろいろあり、彼は4ヶ月程前に、グループホームに入居しました。


そして、彼の認知症が改善し始めたのです。


彼がいるグループホームは自由なところです。

最初にお願いしたのもありますが、施設の人たちは、父にビジネスライクに接してくれます。


父が、他人から馴れ馴れしくされるのが嫌いだということを、家族が把握していたからです。

また、知識が古い介護職の人たちが、認知症の人に、幼児に話しかけるように話しますが、それをすると、父は見下されたと激怒することも知っていたからです。


認知症の人も、せん妄で、小さな頃に帰っている時以外、中身は大人です。



父は、グループホームで、仕事を見つけました。

電気のスイッチの確認や、施設の見回り、他の入居者さんの相談に乗るなどです。


父の気分は、グループホームのスタッフです。

毎日、一時間くらい、事務室で施設長さんと「仕事」の話をし、そのあたりにある書類にも目を通して、ああだこうだ言うそうです。


そうして、父は元気になり始めました。

よく笑います。

(これはもともとの性格もあると思います)


父が好きなお菓子を差し入れると、嬉しそうに食べます。

父は喫茶店が好きです。

それで、週に一二回、家族が一緒にグループホームのそばの喫茶店に行きます。


父は忘れてしまいますが、それでも、その瞬間瞬間は、父は楽しそうです。

何かあると「ラッキーやな」と、よく言います。


今は、彼が大好きなこと、自転車に乗ってひとりで出かけるができないため、それは不満です。


ちなみに彼は、5ヶ月前に事故にあい、脳挫傷と脳出血で入院しました。

お医者さんは、父は二度と歩けないと言いました。

けれど、先週、電子キーの監視をかいくぐり、ひとり自転車で出かけ転倒したのを保護されました。


みなは、父が自転車に乗ったことに驚きました。


私が迎えに行ったとき、父の目はキラキラ輝いていました。

楽しかったのだと思います。



父は読めているかどうかは謎ですが、小さな文庫本をいつも持っています。

たまに開いています。

父は、本が好きです。



さて。

私が気づいた、未来の私のためにできる準備。


私が気づいたのは、認知症になるとできなくなることは、好みの「主張」です。

食べもの、やることの多くは、周囲が判断し、その人に提供します。


好みはQOLに大きく関係します。

流行りの言葉でいうならば、ウェル・ビーイングに関係します。


これを、好みを、周囲がはっきりわかるように「私はこれが好きだ!」と言うことです。

美味しいものは美味しい、楽しいことは楽しい。



父は、私が過去に見たどの認知症の人よりも「人生を生きている感」がなくなりません。

これには、父のグループホームでの社会参加が大きな役割を果たしているのは明らかで、私は政府が進めている長く働け政策は、あながち税金のためだけでもないなと感じました。


人との繋がり、その中で自分が役に立っているという自己効力感、そういうものを「働く」は提供するのかもしれません。


私は、引退後を考えるのはやめようと、考えを少しあらためました。

まあ、私の場合は、最後にやりたいことが残してあるので、それには終わりはないため、厳密には体が動く間は何かやっているとは思います。



それから、父はもともと自己肯定感が高く、人生に適応している人です。

これが、今の父に影響している感じもします。


まあ、これは、それらを司る脳の部分に、今のところ影響が出ていないだけかもしれません。


けれど、父だけではなく、祖父もまたそうでした。

祖父は、父以前、私が見た誰よりも楽しそうな認知症の人でした。


父とはパターンが違いますが、祖父の世界は最後まで楽しそうでした。

祖父もまた、好きなことははっきりしていました。



それから、他に私が気づいたことは。


人に優しくできること、人に感謝を伝えられることは、非常に重要なこと。


介護者は人間です。

私の頃も、まだきっとそうでしょう。


仕事といえどもそこに感情はあります。

家族相手でも同じかと思います。



というわけで、私は準備しなくてはいけません。


つまり、好きなことだらけの人生を作りあげ、自己肯定感を高め、納得のいく人生を送り、社会参加し、他者に感謝し。



特別な準備は何もない、ただ今日を精一杯生きた先に、その続きとして私の認知症ライフは現れるというのが、私の気づきでした。


身内を見るかぎり、私はおそらく認知症になるのは避けられません。

けれど、その日々もまた、今日と変わりないのだということ、そこにはちゃんと自分がいるということ、それが私の気づきでした。