リソースは、アウトカム達成のパターンや構造を知ってる
私はこれを書いていませんでした。
今日、この後の仕事で、クライアントさんとやろうとしているモデリングの組み立てを考えていて、自分がまだ文字として書いていないことに気がつきました。
これとは、これ。
シンボリック・モデリングを使ってできることは、「さまざまなもののモデリング」です。
アウトカムだけではありません。
ペニーやジェームズの著書にも書いてありますし、私も、テキストの最初に書きました。
「シンボリック・モデリングは、さまざまなことに応用できます」
そこに構造やシステム、関係性、パターンが存在するものであれば、何でもモデリングできます。
トレーニングでは、そこの「さまざまなもの」に、リソースと望むアウトカムをあてはめてテーマにします。アウトカム志向の技法である限り、最低限できる必要があるもので、コーチングやセラピーの文脈でシンボリック・モデリングを使用するなら、絶対にできる必要があるものだからです。
なぜならば、リソースとアウトカムは、何をモデリングするにしても、シンボリック・モデリングを使用する限り、いつでも非常に重要だからです。
しつこいようですが、シンボリック・モデリングは、アウトカム志向のテクニックだからです。
リソースとアウトカムの定義の違いはただ一つ。
今、すでに存在するか、しないか。
すでに起きたか、起きていないか。
だから、アウトカムは望む内容によっては未来のリソースになりえますし、リソースのいくつかはまた、過去のアウトカムだったかもしれません。
二つは切り離せないからです。
わかりやすい例だと、よくある話として「もっと自信を持ちたい」誰かがいたとします。
その時、その誰かに取って「もっと自信」は、アウトカムです。
けれど、その人がやがて「もっと自信を持った後」には、増えた自信はリソースになります。
おそらくは、「その人が自信を増やしていった方法」もリソースになります。
それは、他の何か、足りないものをその人が増やしていくときにも、おそらくは使える方法です。
つまり、すでにあるリソースは、その人のアウトカム達成がうまくいく構造やパターンを知っている場合があるということです。
問題を減らしていくのではなく、リソースを増やしていくメリットは、アウトカムを達成していくことのメリットは、その「うまくいく構造やパターンそのもの」をどんどんと増やしていくことができるからです。
また、シンボリック・モデリングでモデリングするのは、ナラティブ(物語)ではなく、文脈や構造です。
ナラティブ(物語やストーリー)は、ひとつひとつ違います。
けれど、文脈や構造は、話やテーマが変わっても、見た目には違う物語でも、その奥では、過去の違う話やテーマにも存在したのと同じものが、その人の中で動いていることが多々あります。
例えばですね、わかりやすくは、白雪姫と眠り姫。
美女と野獣も似たような構造。
話の構造は同じです。
ヒロインは健気ないい子。
美人。
美女と野獣は男女が入れ替わっていますが、魔女の呪いにかかります。
そして、主人公が女性の場合は特に、自分は呪いを解くためには何もしません。
(美女と野獣は、野獣はちょっとは頑張ってる)
最後にキスで呪いが解けます。
魔女、呪い、キスで呪いが解ける。
話の根っこには、呪いが存在する世界と、呪いを解く方法がある。
愛のキスは全てを超える。
シンボリック・モデリングは、最初からは教えていませんが、話の根っこを狙います。
これを、言葉を変えていうと、その人の世界の構造やシステム、パターン、になります。
ただし、根っこは隠れています。
(おとぎ話で、愛のキスが呪いを解く方法だと話の最初には誰も知らないように)
世界は見えています。
(おとぎ話で、魔女も呪いがかかった姿も見えています)
シンボリック・モデリングは、クリーンランゲージを使うので、相手の根っこは想像しません。(呪いを解くのは愛のキス!とは想像しません。決めつけません)
見えている世界で話をします。
(呪いがかかった姿と、それを取り巻く世界から話を始めます)
けれど、ファシリテーターが目指している場所は、見えていない部分です。
デイビッド・グローブも言いました。
はしょると、「あるべきなのに、ないものを探している」
そうして、おとぎ話にはない大きな要素が一つあります。
おとぎ話(ナラティブ)は、めでたしめでたしで話が終わります。
その後の世界は一般的には登場しません。
シンボリック・モデリングは、最初から、「めでたしめでたしのその後」について問いかけるところから話をスタートします。
つまり、呪いも魔女も存在しない世界。
問題が存在しない世界。
愛のキス、その後。
この「めでたしめでたしのその後」のことを、シンボリック・モデリングでは「クライアントが望むアウトカム」と言います。
そもそも、呪いを解くことには焦点を当てません。
呪いを解いても、呪いが消えるだけで何も増えないから。
望むことは、その人の自由だから。
そして、聞いてみないとわからないから。
(これは、別の話が書けることに今気づいたので、どこかで別の話として書きます)
さて。
戻ります。
だから、過去にアウトカムで、現在はリソースとして存在している何かがあれば、もしくは、リソースとして存在し続けている何かがあれば、そのリソースは、「うまくいくパターンの構造」を知っている可能性があります。
リソースのメタファーの構造が、それを表していることは多々あります。
私がこれまで見てきたクライアントさんの傾向としても、それは確かです。
クライアントさんは最初、メタファーの物語に夢中になります。
これは、初心者のファシリテーターも同じです。
物語はいつでも魅力的です。
もともと共感力や同調力に秀でている人は特に、物語に惹きこまれていくように、私には見えます。
それから、メタファーを使用する技法には、ナラティブ重視のものが割とあるので、経験豊かなセラピストさんやコーチも、最初は、視点を変化させるのに少し時間がかかることがあります。(この場合は、話を聞くポイントを変化させるだけなので、感覚がわかればスイッチできるようになると思います。実際、ナラティブが効果があるクライアントやテーマもあるので、視点を増やす感覚になると思います)
しかし、当初メタファーの物語に夢中になっていたクライアントさんも、セッションの回数が重なってくると、そのフィードバックが変化し始めます。
クライアントさんは、メタファーの仕組みや構造、それがある効果を書いてくるようになります。それから、自らで、セルフ・モデリングをするようになります。
つまり、セッションの後に自分でメタファーの世界を展開してみて、そこで起きたことを書いてくるようになります。
ファシリテーターの私としては、話は、私が全く介入しないで動き始めたメタファーの世界、クライアントさん自身の世界が本当に変わるのはそこからだと思っています。
(なぜならば、私は、その人の現実世界にはいないから)
私の仕事は、メタファーの世界が、クライアント自身によって動くことができるようになるところまで、そこまでだと思っています。
(そしてもしも、進んだ先で、他者のサポートが必要なことが登場したときに手助けすること)
自分でメタファーの世界と繋がり、自分一人でそれがモデリングできるようになると、そこから、ファシリテーターはもちろん、何人たりとも他人は入ることができない隠れた本当に神聖な場所に、クライアントは入ることができるようになります。
シンボリック・モデリングのファシリテーターがしていることは、セルフ・モデリングのファシリテーションです。
ファシリテーションは、手助けや促進という意味があります。
つまり、クライアントが自ら、モデリングできるようになる学習システムが、シンボリック・モデリングには組み込まれています。
私はそこが好きです。
私は、うまくなりたいならクライアント体験をたくさんした方がいいと、学習中のファシリテーターさんにも勧めることがあります。
それは、さまざまな人のセッションを受けることで、セルフ・モデリングの仕方を体が覚えるからです。
ポイントは、さまざまな人、です。
やり方はファシリテーターによっても、また、相手のクライアントによってもプロセスはいくらでも変わりますが、「基本的に誰がやっても、誰に対しても同じ部分」があり、それを、クライアントとしての自分が、メタファーとして体で記憶してくれることで、ファシリテーションが楽になるからです。
私が「練習であっても実践だと思ってやる方がいい」と、ファシリテーターに言う理由のひとつもそれです。
本気でやれという理由。
自分が学ぶのではなく相手の学びをサポートしようと互いにし合うことで、クライアントとしての自分が、ファシリテーターとしての自分に必要なものを学ぶことができるからです。
互いに本気でやる時にだけ、それが可能になります。
ファシリテーターのスキルレベルは、クライアントには一切関係ありません。
それは、ファシリテーターの問題であって、クライアントには一切関係ありません。
(これは、ジェームズの受け売り。そして今、私があるのはこの言葉のおかげもあります。「君の英語力は君の問題であって、クライアントには何の関係もない」)
.......
さて。
ああ、また話がそれました。
どうやら、再び、日本語を紡ぎだす時間が始まるようです。
テキストの2冊目を書き始めるのかもしれません。