問題がリソースになるとき

現在、私の父はグループホームにいます。

その結果、私と父は、これまでよりずっと長い時間、一緒にいることになりました。



父は転勤族で、私が生まれた日も、妹が生まれた日にもいませんでした。

私が大人になって24才で家を出るまでに父と暮らした期間は、合計10年程度です。


私が1歳を過ぎたころ、父は最初の海外転勤に出かけ2年帰ってきませんでした。

私は、飛行機を眺めては「お父さん」と言って泣いていたという話を母は何度かしていました。


その1歳過ぎの小さな私が、最近のある夜、父を慰めました。


その夜私は、なんとなく父が寂しくなっているような気がして、仕事が片付いた後、夜、グループホームに父を訪ねました。


そこの面会時間は朝8時から夜8時まで。


私は、父は「単身赴任」(メタファー)でそこにいるのだと説明しました。

「お父さんは、ここで仕事をしてるのよ」

ただ、これまでの単身赴任とは違い、家族はいつでも会いに来れるのだと。


実際、父がそこにいるのは、家族を守るためです。

そうして、父がそこでたまに仕事をしていることも事実です。


父がそこにいる意味は、父の単身赴任というメタファーが持つ意味と変わらないと、私は思ったのです。



そうして、私は笑いながら話しました。

1歳過ぎの私が飛行機を眺めて泣いた話を。

不幸なことに、小さな彼女の家は飛行機がばんばん飛ぶ場所にあり、彼女はしょっちゅう泣かなくてはいけなかったことを。


すると父は、優しい顔になって笑い「がんばろか」と言いました。


小さな私の寂しいが、今の父の寂しいを癒やしました。



私は、寂しさを引き受けてくれた小さな私に感謝しました。


自分が過去に感じた(らしい。というのは小さすぎて、私の記憶には残っていないから)寂しさが、誰かを癒す力を持った時、小さな私が、「えらかったでしょ!」と胸を張った気がしました。


私が子供時代に書いた日記にも、「お父さんが帰ってこなくて寂しい。お父さんに会いたい」はよく登場しています。


私が父に会いに行く頻度は高いですが、私は親孝行な人ではありません。

どちらかといえば、私と実家には距離がありました。


だから、それはおそらく、小さな私が、お父さんを寂しくさせてはいけない!と、頑張っているのだろうと感じています。





場所と環境、状況、つまり文脈が変わり、そこに変化が現れたとき、過去の問題がリソースとして機能することがあります。


小さな私の大問題だった「寂しい」が、誰かを癒すリソースとして働いたお話でした。