サイコアクティブな場の影響力について、体験する

3月から4月のここまでにかけて、私が学んでいる大きなことが一つあります。
それは「場がサイコアクティブであること」の意味です。

サイコアクティブは、クリーンランゲージを使用する技法の中で使用される言葉です。
精神的に活性化された状態のことを指していますが、いわゆる催眠状態(トランス状態)とは少し異なります。
フロー状態とか、ゾーン状態とか、そちらの方が近いかもしれません。

サイコアクティブな状態にある人は、ちょっと見た目には普通と変わらないことが多いです。
セッション中は、その人がサイコアクティブな状態になっていることを、クライアントの言動から判断することはできますが、サイコアクティブな状態は、セッション後も持続します。

また、これは特にシンボリック・モデリングもそうですが、クリーンランゲージを使用する技法に顕著な特徴として、「ファシリテーターが意図的にクライアントをサイコアクティブな状態に誘導しない」ので、クライアントは自らその状態になります。

つまり、「いつ」その人がサイコアクティブな状態から普通の状態に戻るかも、クライアント次第ということになります。

切り替えが早い人は、セッション後すぐに普通の状態に戻るでしょうし、または、サイコアクティブな状態が長く持続する人もいるかもしれません。

また、セッションを受けずとも、メタファーのことを考えていて自らその状態になる人もいるでしょうし。

サイコアクティブな状態の人の話し方は、「普通」です。
けれど、他者からの影響を非常に受けやすい状態になっています。
これには、いい影響もあれば、その間の他者の言動から思わぬ影響を受けて、深いところにそれが刷り込まれてしまうこともあります。
特に、メタファーに関する話は、「相手がサイコアクティブではないこと」が明らかに確認できている時を除いては、要注意です。
(怖がることはありませんが、少なくともメタファーの扱いについて覚えるまでは、注意した方が無難です)


また、「メタファーの名前そのもの」がサイコアクティブな状態へのスイッチになっていることは多々あります。(だから、相手が口にしないのに、相手のメタファーの話をこちらから持ち出す時は、原則的には「メタファーについて話してもいいか」という確認を必ず取る必要があります。初心者トレーニングでは、集まっている人たちに心理学的な基礎知識がないとわかっている場合には、リスクを避けるために、「メタファーの話はしないでください」というアナウンスがされることもあります)


・・・と、このあたりまでは、私は、知識としても体験としても、これまでも十分に持っていました。


私がこの1ヶ月くらい体験していることは、聞くと見るとは大違いなことです。

そして、トレーナーを始めたので体験できていることとも言えます。

私は、「場」がサイコアクティブであることの威力に気づき始めたのです。
そして、グループで学習することの相乗効果に気づき始めたのです。

それから、潜在意識というか、メタファー・ランドスケープって一体何なの?と、改めて考え始めたのです。


それを私に教えてくれたのは、あるメタファーでした。

3月に1つ、それから現在進行中のものが1つ、私はグループと関わっています。
その2つのグループには関連性がありません。
集まっている人たちには、面識がありません。

2つのグループに共通しているのは、講師(私)とアシスタント2人が同じ人ということだけ。

守秘義務がありますから、私はもちろん、3月のグループで起きたことや登場したメタファーは、現在進行中のグループでは話しません。
それから、2つのグループが持っている特性の違いから、私は、3月と今回とではやり方を変えています。


私が驚いたのは(アシスタントの人も驚いていましたが)、まるで「メタファーがある人のメタファー・ランドスケープから別のある人のランドスケープへと移っていくような現象」が起きたことでした。

実際、同じ場所にいる人たちの間でそれが起きるのは珍しくありません。


けれど、私が驚いたのは、別の時間、別の場所で行われているワークショップで、講師は全くそのメタファーについて触れないのに、その「あるメタファー」が登場したことでした。

そして、それはそんなに頻繁に現れるメタファーでもありません。


3月のワークショップでは、そのメタファー、もしくはそのメタファー周りのメタファーはよく登場していました。

参加者の人たちはシェアしあうので、お互いのメタファーが影響し合っているのだろうと、私はただ見ていました。

それぞれの人の発言から、それがいい影響を与え合っているように見えたからです。


4月。
別の時間、別の場所で、そのメタファーが再登場した時、私は驚きました。


私には「言葉なき状態で」私とアシスタントの2人がそれを運んだように思われました。

・・・となりますと、3月のワークショップの参加者さんたちは、4月のワークショップの参加者さんたちにも協力をしていることになるなあと思いました。

誰かの学びが、後から来る誰かの学びを、「言葉なくして助ける」、そんな状態?とふと思いました。

そして、私がまた別の場にいく時にも、私は、それらを運ぶのかもしれないと思いました。

サイコアクティブな場ができることは、ものすごい可能性を秘めているのかもしれない・・・と私は思いました。


そして、もう一度、自分の身が引き締まるのを感じました。
「いいものだけを運ぶために、私は、クリーンでい続ける必要がある」と気づいたからです。

この場合の私のいうクリーンとは、「私は知識を教える、シェアする」とはっきり自分で認識しておくことです。
気づかせようとはしない、変容させようとはしない、ただ、私は知識を教え、知識をシェアすることに専念すること。

あくまでも、そこにあるサイコアクティブは、「学ぶため」のもので、それ以外に何かが起きる時、それは全て「副産物」だということ。
それは、私の力で起きたのではなく、学んだその人自身の力で起きたことだと、いついつまでも覚えておくこと。

この場合、それがクリーンねという気がしたのでした。


だから、まあ、気づいたとて、私が何かを変えるわけではないのですが。

それにしても、メタファーとサイコアクティブな場の力はすごいことだわと思ったのでした。

それから、一人で学ぶのではなく、誰かとグループで学んだ時の相乗効果ってすごいな、だから人間は集団で学習するのだな…などという気づき。
(私は学校があんまり好きではない子供だったので。笑)


…ということのシェアでした。