こばなし
こばなし。
私は、人生の一時期、アメリカに留学したいと思っていました。
心理学か哲学を勉強しに行きたかったのです。
自分の性格的に、日本よりはアメリカの大学の方があうのではないかと考えていました。
その願いを、私は、口にしませんでした。
普通に考えて、語学力とお金が足りなかったからです。
無理だ、と思ったのです。
まず英語をなんとかしないといけない、まずお金を貯めないといけない、そう思ったのです。
それから長い時間が経ったあと、ある瞬間、私は、何も考えずに、ある申し込みボタンを押しました。
手が勝手に動いたのです。
それは、英語とお金が必要な話でした。
ボタンを押した後、心臓が爆発しそうになり、夫のところに走っていって、「行っちゃだめだよね?」と、私を止めるよう、暗に夫に促しました。
夫はひっかからず、「自分が怖いからといって、僕を理由に使うな」と言いました。
お金については、当時、夫が、「それについては、好きなだけ使え」と言ってくれていました。
私の英語はカタコトでした。
なんなら、アメリカの大学に行きたいと考えていた頃の方が、まだ若くて、もう少し語彙があったかもしれません。
その後、軽く大学を卒業できる金額が、消えていきました。
このことに関してだけは、お金はどこかから現れました。
私が初めて訪れたのは、アメリカでした。
今朝、ふと、この話を思い出しました。
「結局、行ったな」と。
そして、何がどう違ったのかを考えました。
違いはどこにあったのだろう?と。
最初にアメリカの大学に行きたいと考えた時、私はまだ親元にいました。
私がそれを口に出していたなら、私の両親は、おそらくはお金を出してくれたはずでした。
今、あらためて考えても、そう思います。
けれど、私は無理だと決めつけました。
私は英文科に在籍していました。
つまりは、英語を学習する環境は整えられていました。
その気になれば、いくらでも、どうにでもなりました。
しかし、私は、無理だと決めつけました。
この願いは叶わないと、決めつけました。
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私が、シンボリック・モデリングのアウトカム志向が好きな理由のひとつは、望みを言語化させるところです。
もう一つは、それがどんな素っ頓狂で、完全に無理な願いでも、とりあえずは、クライアントはその望みや願いを抱いているということを尊重するところです。
願いや望みは、ヘルシーなものばかりではありません。
何かから逃げるための願いもたくさんあります。
抱く願いや望みが実は問題を生み出していることも多々あります。
それでも、それを一旦は尊重します。
私はそこが好きです。
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私は夫になら言えたのです。
「アメリカに勉強しに行きたい」と。
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私は、ファシリテーターに必要なもののひとつは、夫が見せてくれたものではないかと考えています。
この人になら、話してみてもいいかもしれない。
それを言葉で説明するとどうなるか、さて、一週間で答えは出るか?
今週末からは、オンラインのイントロダクションがはじまります。
再び、私はトレーナー。