DAY137: リソース

私は最近、春から始めるシンボリック・モデリングのコースに必要な逐語録(セッション記録)を集めるために、クライアントを募集しました。


そして、セッションを始めてみて、今、ほんの数人終わったところです。

セッションのお題は、今日、シンボリック・モデリングを学び始めた人が練習に使うテーマです。


「あなたの〇〇が最高の状態のとき、それは何のよう?」


〇〇には、リソースが入ります。


リソースは、その人が持ち、その人が価値を認めているか好きなものです。


この場合は、その人の長所や強みといったその人自身が持つ質や個性を扱うセッションをします。


自分自身の質は体感しやすく、メタファーが作りやすいので、初心者向けだからです。

それから、シンボリック・モデリングのプロセスにおいて、リソースはいつでも鍵を握っているからです。


シンボリック・モデリングは、「その人が好きな持つものを使って、その人が好きな望む結果をだしていく」プロセスです。


ですから、プロセスの中で、リソースがゲーム・チェンジャーになることは、非常に頻繁にあるのです。


リソースのポイントは、「好き」もしくは「それには価値があると本人が認識しているもの」であること。

他人から見て、その人の長所だというものでも、本人がそこに価値を認めていないものは、この場合、リソースではありません。


私の体験上、実際のセッションでは、明らかにその人の人生の中でリソースだと推測できるものの価値に、本人が気づくことから始めないといけないことはしょっちゅうあります。


特に、人生の最初から存在しているリソースは、他のリソースよりも強く、その人を助けてきたけれど、本人には「当たり前」で本人が気づいていないことがよくあります。

磨けば光るリソースがほったらかしになっていることも、よくあります。


そして、もしも、本人が、その何かを嫌いならば、本来リソースとして使えるはずのものが問題として認識されていることも多々あります。



例えば、「目立つ」という要素を持っている人がいたとします。

人から注目されたい、目立ちたいというアウトカムを持つ人は多いです。


その人は、何も特別なことをしなくても目立ち、注目を浴びています。

そして、実際、そのために、人に見つけてもらいやすいという恩恵も受けています。


けれど、その人にとっては目立つこと、注目を浴びることは、リソースではありません。

むしろ、妬みを買うという問題として、働いていました。

その人は、目立たないようにする方法を一生懸命、考えていました。


その後、その人は数年の時間を使って、その人の目立つことに対する認識を、リソースへと変容させました。


そうすると、ご本人によれば、他者からの妬みが全く問題にならなくなったそうです。

そして、どうやれば、さらに目立つかを一生懸命考え始めました。


その人が他者に伝えたいもの、その人が見たい世界を伝え広げていくのに、その目立つというリソースが役に立つことに、その人は気づいたのだそうでした。

そして、自分を妬む人がいるとしたら、その妬む人たちは、自分に興味を持ち、自分を話題にしてくれるから、自分の願いに協力してくれる人たちだと認識が変わったのだそうでした。


そして、その人が、他者が欲しがるものを自分が持っていることに無自覚だったのは、生まれつき、持っていたからだと。

その人は、親戚と兄弟が多い両親に、どちらもの祖父母の初孫として生まれ、自分は、生まれた時からたくさんの大人に可愛がられ、身内の集まりでは、常に注目され目立つ愛されるアイドル的な存在だったことが、自分の振る舞いに影響していると気付いたのだそうです。


自分が笑うことで、たくさんの周りの人が笑う、そのことを思い出したことが、その人の問題がリソースに変わったきっかけだったそうです。


そして、目立つという要素を、リソースとして使えば、アウトカムをより容易に達成できる、と気づいたのだそうです。



これは実例です。




リソースは、簡単そうに見えますが、非常に奥が深いです。



さて。

始めたセッション、そこで、面白いことが起きています。


今はまだ、ほんの数人、終わったところですが、その人たちがセッション後のフィードバックで似たようなことを言うのです。


それは、「リソースを使うために、何が起きればいいのだろう?」というようなことでした。



私は、立場的に、そこでは自分の意見を言うことができません。


けれど、使う、という単語が登場するたびに、つまり、その人たちが、自分のリソースを他者に分け与える方法を考え始めることに、胸が熱くなっています。



自分が人生後半を捧げるために選んだ方向は間違いじゃなかったと、じんわりしています。


その人が持つ好いものが広がっていく、分かち合う世界のために、それを可能にする道具に、私の人生を捧げると決めたのは間違いじゃなかったと、じんわりしています。