DAY117: 汚染しない、奪わない、介入しない。
私が、「さて、この言葉をどう扱うか?」と考えている単語がひとつ、あります。
‘contaminate’
この反意語が、’clean’です。
contaminateは、デイビッド・グローブがクリーンランゲージがクリーンである理由を語る時に使用していた単語だそうです。
「クリーンランゲージのクリーンがどこから来たか?」という話の時に、ちょこちょこ、目にします。
contaminateには、「汚染する」という意味があります。
collins dictionaryによれば、contaminateは...
“If something is contaminated by waste, dirt, chemicals, or radiation, it is made dirty or harmful.”
日本語にすると。
「廃棄物、汚れ、化学物質、放射線などで汚染されたものは、汚れたり有害になったりする。」
ああ、これはメタファーだということになるのですが、デイビッド・グローブが使用したメタファーは、たまにやや過激だなと、私は感じることがあります。
デイビッドの表現には、経験を「奪う」というような表現もあります。
この表現は、ファシリテーターによる言葉の要約やファシリテーター側がクライアントの経験をリフレーミングすることに対して使用されています。
デイビッド・グローブは、ものすごく優しい人だったそうで、YouTubeで動画を見ると、語り口調は眠いくらいに穏やかで、声も優しいです。
そういう人が、少々、過激な表現を話し言葉で使用したとしても、おそらくは、その場にいた人たちには問題なかったんだろうと思います。
けれど、書き物になって、言葉そのものが歩く時、話は別です。
おそらくは、このメタファーが引き起こしたのではないかという議論が、過去に巻き起こったのを、私は、歴史探訪中、掲示板などで読みものとして目にしました。
日本で、私が時折耳にした話にも、それと似たようなことがありました。
主に平和的な人が、ファシリテーション中に、一語一句、クライアントの言葉を言い間違えないように、極端な表現をするならば、怯えていたのです。
自分の言葉が、クライアントの体験を奪わないように、クライアントの世界を汚染しないように。
私自身は、この2つのメタファーが言っていることはわかるけれど、表現があまり好きではないため、私が自分が自分の理解としてクリーンランゲージを説明する時は、使用していません。
由来を話すときには、「デイビッドは、こう考えた」とつけるようにしています。
歴史を語るように。
今となっては、ここからは、デイビッドに会ったことがない人たちしか登場しません。
やがては、デイビッドに会ったことがある人に会ったことがない人ばかりになるでしょう。
私は、ギリギリ、狭間にいます。
そして、こういうことを全部踏まえて、シンボリック・モデリングの開発者が、クリーンランゲージの説明をする文章には、「クリーンランゲージは、どんな言葉もそうであるように、影響を与える」という一文が入っているのだろうと思います。
これは、彼らの著書の中にも書いてあります。
最初に、この文章を読んだ時は、話の流れの中で、そこが唐突な文章に見え、何のことかしら?と、私は思ったのですが、歴史探訪中に、「ああ、なるほど」と腑に落ちました。
彼らの著書の序文を書いた人は、デイビッド・グローブですから、彼も目にして、それで相違ないということでしょう。
デイビッドの体験や世界観から、クリーンランゲージは生まれたわけで、彼のこの考えがなければ、クリーンランゲージは生まれていません。
これは事実。
そして、シンボリック・モデリングにおいては、「汚染しない」、「奪わない」はレメディです。
シンボリック・モデリングは、アウトカム志向の技法でございます。
だから、私は、悩んでいる!(笑)
自分のブログに書いたり、口頭で説明している分にはいいのです。
オフィシャルに、自分の理解を発表するとなると、悩みはじめたのです。
この、「クリーン」は、レメディなのか、どうか?
この由来を書きますか、書きませんか?
メタファーの力は偉大ですが、と。
日本語にしたとき、汚染する、奪う、は、漢字で、クリーン、よりも体験として理解しやすく、パンチがあるメタファーだからです。
他に「介入しない」というこれまたパンチがあるメタファーも存在しています。
ないないづくしになってしまう。
これらの表現は、シンボリック・モデリングで言うところのレメディなんですね。
私は、問題解決型、もしくは、傷を癒すことを主目的とした技法なら、このメタファーでいけるんじゃないかなと思うのです。
デイビッド・グローブも、心理療法家でした。
そして、歴史は歴史。
そして、もうここから先は、誰もデイビッドには会えない。
そして、時折、これらのメタファーが、学習者に心理的抵抗を巻き起こすことがあるという事実。
そうすると、まあ、こんな感じのことになるのです。
「そして、ファシリテーターが、クライアントの体験を汚染しない、奪わない、クリーンでいる、すると、何が起きる?」
答えは、さまざまなことでしょうが、私が今浮かんだのは...
クライアントが、安全に、自由に、自分の世界を探求し、世界を創造することができる。
クライアントが、自分自身の力で、自分の世界を再構築(リフレーミング)することができ、結果として、クライアントに、自己受容感、自己肯定感、自己効力感が生まれる。
クライアントが、自分自身の世界観を尊重されている感覚を持てる。
クライアント自身が持つもの、クライアント自身のやり方で物事が進むため、セッション後、現実の中での再現が容易。
自発的に生み出された有機的なメタファーなため、その持続性が長く、効果が長期的に持続する。
こんな感じかな。
話の順番として、「歴史を書いたら、すかさず効果を書く」、もしくは、「まずは効果を書いて、それから歴史を書く」がいいのかな。
いや、シンボリック・モデリングを使うなら、先にアウトカム、それから、源がわかりやすいか?
話の順番で、なんとかできるかもしれない、と、今、思いました。
少し、進みました。