DAY126: 暗黙知

誰かがその人に向かって、何かを話しているとき。


もしもその誰かに、「それについて、教えてくれる?」とか、「それについて、私に聞かせてくれる?」と問いかけると、その誰かは、自分がすでに知っていること、気づいていることを語ります。



というようなところから、クリーンランゲージでは、これらの質問を使用しません。


代わりの質問は、

「それについて、他に何かありますか?」

「それについて、他には何かありますか?」

「その何かは、どこから来ましたか?」

「それは、どんな何かですか?」


などです。


これらの質問は、誰かがすでに気づき、知っている情報を自分が得るためではなく、相手が、まだ気づいていないけれど知っている情報、暗黙知と呼ばれるものと相手を繋げて、新しい気づきや理解を、「質問を問いかけられた相手が情報として得る」ために使用されます。


セッションやコーチングということでいうなら、ファシリテーターやコーチが情報を得るためではなく、原則としては、クライアント自身が自分についての情報を得るために、クリーンランゲージの質問はあります。

(文脈によっては、別の使い方もできます。)


極端に言えば、ファシリテーターが、クライアントが話す内容を理解できるかどうかは、どうでもいいというのは、シンボリック・モデリングのスタンスでもあります。



自分が理解できなきゃ、相手をサポートできないじゃない。


そう思う方もいるかもしれません。


けれど、シンボリック・モデリングで使用されているクリーンランゲージの質問は、本当に、相手の話が全く理解できなくても、相手をサポートするファシリテーションが可能です。



私も当初、半信半疑でしたが、2016年から4年程度の期間、私自身が、クライアントが英語で話す内容がほとんどさっぱりわからなかったのにセッションはできたことから、私は、「それは本当だ」と心底、理解しました。


本当にクライアントが何を言っているかが、わからなかったのです。

私は、英語でファシリテーションするセッションの半分以上を、相手が語る音とジェスチャーを頼りにしていたからです。


クライアントにとって、何が大事なのかは、音から判断していました。

人は、大事な何かを話すとき、ほんのわずかに、声のトーンと息づかいが変わります。

質問する何かは、相手のジェスチャーに対してが多くならざるを得ませんでした。

口から発せられた言葉に質問をするのは、リスクが高かったからです。


結果的に、これは私の観察力、モデリングスキルを以前とは段違いに向上させることになりました。

私は、ある程度、人のジェスチャーや目線の持つ意味は頭に入っている状態で、シンボリック・モデリングとは出会いました。

しかし、一般的なジェスチャーの意味が、当てはまらない人の多さに驚きましました。

ジェスチャーや目線の持つ意味は、非常に個性的だったからです。

それで、私は、自分がそれまでに覚えたジェスチャーの意味のほとんどを忘れることにしました。

その経験を通して、誰かを精神的にサポートすることや、誰かの気づきを促進することと、ファシリテーター自身が相手を理解することは、全く関係がない、ということに、私は気づきました。


今、私が、シンボリック・モデリングを使うとき、クリーンランゲージの質問を使うとき、始める前に自分自身に必ず言うのは「私は、相手のことを何も知らない」という言葉です。



ただ、まだ、その人が言語化したことがない何かを、その人に語らせることができれば、その人自身の耳が、自分が語ることを聞きさえすれば、それでいい。


クライアントに、ファシリテーターのために語らせなければそれでいい。


そういうことに気づきました。



そして、概念で語れない望みでも、人はメタファーでなら語ることができます。

暗黙知がある場所に、静かに、その人の深い望みも眠ります。


おそらくは、生まれてから一度も気づいたことがないその人の深い望み。



「そして、その〇〇について、他に何かありますか?」


このどうということもない質問が、その人を深いところに誘うのを何度も見た後、私は、人に質問を問いかけるのが好きになりました。


相手が自分自身のために語る物語は、ファシリテーターが理解できるように語られる物語の何倍も面白かったからです。



そして、ファシリテーターとしての私が、「相手を理解したい」という自らの人間としての本能的ともいえる欲求を手放したとき、というか言語能力的に手放さざるを得なかっただけですが、その時。


それは起きたのでした。