選択の個人的な要素

選択するときに、自分の気質を要素に加えた話の続き。
これは若い頃は気づいてなかったけど、年を重ねる中で、そのあとうまくいく選択、こける選択の差に気がついた。

私の場合は、自分の気質を要素に加えずやりたいだけでやった時に、うまくいかないことが多い。
何度も書いているが、私は子供っぽいところがあり、しょっちゅうワクワクしているので、ワクワクする感覚は、私自身にはあてにならない。
また、やりたいようにやっていることが多いので、やりたいのもあてにならない。
ようするに、幼稚でわがままに生きてる人という自己分析だ。


うまくいかないことは失敗ではないから、それはそれでいいけれど、今回は仕事の話なので、それはそれでいいとは思えなかった。
仕事が私にとってそうだからだけれど、そこから自分自身が人生について何かを学ぶための選択をするわけではなく、自分が提供するものについての選択だからだ。


選択理論や引き寄せの法則、それからイメージワークによる選択では、気質も含め、本人の持つ要素は触れていないことが多い。
個々に違うので、触れようがないのだろう。

私がシンボリック・モデリングが好きなのは、選択のその後を、バーチャルでシュミレーションすることができるからだ。
そしてそこに、リソースを使う。
リソースは、個々の要素だ。

その最初の手順から、それははじまり、そのセッションを通して、それは続き、そして、その時たどりつける望む未来を望ましい未来に変え、そこにいたる道のりを探す。

私はすでに、心踊る選択のその後が必ずうまくいくわけでもないし、素晴らしい未来に見えたものががらくただったことを、自分自身も何度か経験した後だった。
望むことが望ましいとは限らない。
だから、このバーチャルなシュミレーションはありがたかった。

特に問題を抱えた状態で、自分にとって望ましい未来を描くのは心に力がいるから、それが手伝ってもらえたり、手伝えるのはありがたかった。


本当に、それは、望ましいのか?
あくまでも、自分にとって。
価値観は人によって違うから、何が望ましいのかは人によって違う。


今、書いて気がついたが、私の今回の選択には、ここ数年、クリーンランゲージやシンボリック・モデリングを通して作った思考やその理論が関係しているかもしれない。

自分の気質や要素は、リソースだ。
今回、リソースでないものもまた考慮にはいれた。弱みだ。
リソースが多く使え、弱みが発揮されないように。


私が今回、選択の要素にいれた気質は、
たくましさ、優しさ、コミュニケーションスキル、ポジティブさ、共感能力、切り替えの早さ、体力のなさだ。

前の5つは、リソースで、後のひとつは弱みだ。

特に、たくましさとポジティブさの気質の部分。

たくましさもポジティブさも、場所によっては全力使えない。
おさえる必要がある。
実際、大人になってから、私は、時と場合によって、それらをおさえ、共感を前に出すようになった。

強すぎるポジティブさは、時と場所によっては、人を傷つける。
あまり語られることはないが、強すぎる長所は短所と紙一重だ。
ポジティブならよいというもんでもない。


好きなだけたくましく、好きなだけポジティブでいていいと許可できるフィールドの中で、自分の弱みがあまり影響しない専門を考えた。

そうしたら、それは、場所が変わるだけで、今までやってきたことと同じだった。
相談業。
働く形態も、しばらくは無理だろうが、最終的には今と同じでフリーランスだろう。


フィールドを変えれば、自分はもっと好きなだけ、たくましくいていいと思ったら、そこで初めてワクワクした。
切り替えの早さはこの場合、私の心の健康を保つことに働くだろう。


だから、私の性格を知りつくしている母は、あなたのためのような仕事と言ったのだろう。
小さな頃から変わらない、私自身の本質が何にもコーティングされていない、何にもトレーニングされていない状態を、彼女は見たのだから。


ここにつながるきっかけはまた、クリーンランゲージだ。
その質問を応用するためのフィールドワークがそもそものきっかけだ。

そして、私が、クリーンランゲージやシンボリック・モデリングが本当に好きだし効果がすごいと思ったのは、数年前に行ったカリフォルニアがきっかけだ。

人生を変える経験で変わったものは、リソースからリソースへと連鎖させ、リソースを増やしていくこと。

そして、体が動きはじめたこと。

そして、選択の基準が変わったこと。
温もりへと。
生まれた温もりが、さまざまな選択を変えたこと。

してみると、今の私にとっては、温もりがより望ましいリソースだということなのだろう。

温かいこと。

老化のはじまり?
かもしれないねえ。

ならばこれは、私にとって望ましい老化。

私は、自分が、どのように、老化していく中で、弱みを感じずに仕事をしていくかの選択をしたのかもしれない。