不思議な気持ち

夏の不思議。
場所とのご縁とか、きっとあるんだな、とさっき思った話。

私は25歳から20年かけて人生をやり直してきていると、ここに何回か書いた。
自分の心を育て直すと決め、人生から逃げないと決め、やけくそな選択はしないと決め。

そして、本当に25歳の頃に生まれたのであれば、20歳になろうという頃、私は、自然に、自分の専門を考え始めた。
今も専門は持つが、それは、最終地点ではない感じがした。

そこまでに20年かかっているから、やり直すにしても、リアルな人生と同じように年齢は進んでいくのかもしれない。

それは、本当の20歳の時とは基準が違った。
私は、自分がやりたいことではなく、自分の才能と気質、これまで学んだことを活かすことを中心に考えた。

最初のバージョンと違い、この20年、私は実によく勉強した。
夫と結婚した後は、さらに拍車がかかった。
夫は、君はずっと勉強してる、と笑う。
なんども、親がお金を出してくれた時に、なぜ、やっておかなかったか?と、財布から飛び出していくお金に思いながら。

それから、最初のバージョンと違い、私は母にそれを相談した。
生まれて初めて、進路を親に相談した。
母は、話を聞いて、それはきっとあなたの天職よ、あなたのためにあるような仕事じゃないの、と言った。



やり直しの旅に、親は、私に、友人を持たせてくれた。
桃太郎さんのお腰につけた吉備団子みたいなもんだ。
力が足りない時、ひとりで心ぼそいとき、友情がいつでも私を救った。
それは、両親との関係が非常に破滅的な私の最初の人生の中で、身につけたことだ。
私の友人を大事にする癖が身についたのと、親子関係が破綻していたことは無関係ではないだろう。


そして、私が社会に還元できそうなことを考え出した時、私の体はアルバイトをはじめた。
探したのではなく、ポンと目の前に現れた仕事だ。

そして、私は、基本を習うそのために、学校に通い始めた。

その学校がある場所は、かつて、19歳の私が、アルバイトに必要な技術を身につけるために通ったのと同じ駅にあった。

ある、ということに、先程、気がついた。

学校が終わって、道を歩いていたら、見覚えのあるビルの前に出た。
そのビルが、19歳の私が週に1回通った場所だったのだ。

ちなみに、その時始めたアルバイト先は、その後、私の就職先となり、間を空け形を変えながらではあるが、その業界と私は、その後20年間、関わり続けた。


こりゃ、同じパターンじゃないか?と、私は思った。

繰り返している?


なんだか不思議な感覚になった。

つい最近、友人と話した時に「ようするに、ようやく大学生になったんやな?」と笑われたのだが、もしかして、本当に、心や状態は、今、大学生みたいなことなんじゃないかとすら思った。


耳につけたイヤホンからは、虹の彼方に、が流れていた。
たまたま。
ほんとにたまたま。


虹の向こうのどこかに
いつか夢みた場所がある
青い鳥が飛ぶ
願いが叶う場所がある


暑さもあって、私は、ぼ〜っとした。
不思議な気持ち。


現実より不思議なもんはないな、と思った。