これが、私の愛のかたち。
クリーンランゲージを勉強し始めたのは、今からもう6年前になる。
そこまでに学んだことは、自身の興味や嗜好、自身のためが含まれるものあったが、クリーンランゲージについては、その学ぶ目的から自分は外れていた。
はっきりと、仕事のためだという認識があった。
よりよい仕事を提供したい、以上、みたいな感じだ。
その頃、私個人の人生上には、お金を払ってまで解決する必要がある問題は消えていた。
最初に短いワークショップに出たあと、私はクリーンランゲージのセッションを3回受けた。
勉強するかどうか決めるために、クライアントを体験する必要があったからだ。
(セッションを受けるのは、効果の確認と観察を兼ねている。)
その最初のセッションで取り上げたのは、きっかけとなったワークショップで登場した「ピンクの光」というメタファーを、もう少し深めてみることだった。
ピンクの光というメタファーは、やがて、セッションの中で、概念へと変化した。
一般的には、クリーンランゲージのセッションの中では、概念的な言葉からメタファーが生まれることが多い。
しかし、私個人に関しては、いきなりメタファーが登場し、その意味を概念として理解していく流れになることが多い。
セッションの流れは、本人の思考回路を使うから、人によりけりだ。
言葉の意味を表すものがメタファーで、それらの意味をまとめた名前が概念だとするならば、私が弱いのは意味ではなく名前だ。
私は、人の特徴や性格をつかむのは早いが、人の名前を覚えるのは時間がかかるから、何か関係しているかもしれない。
概念は、外側の世界と自分を繋げていく。
メタファーは、内側の世界と自分を繋げていく。
両方揃えば、内側-自分-外側がつながる。
ということに、初めてセッションを受けたその日の私は気づいていなかった。
そのセッションの中で登場した概念は「愛」の一文字だった。
「そこに愛がなければ、何をやっても意味がない」と、私は言った。
今朝、唐突に気がついた。
愛という漢字ひと文字で登場したことから、私のこの数年は動いているということ。
これが、自分にとっての愛だ、ということを形にしようとし続けてきたこと。
つまりは仕事について、考え続けてきたこと。
自分が何をしようとしているのか、私は気がついていないことが多い。
何をアウトカムとしているか知らないままに動くことが多い。
体だけが理解していて、頭は、その時その時必要なことを考えているか、または、ずうっと先の未来を描いている。
今している行動の小さなアウトカムは、必要になる時にしかわからない。
これは、クリーンランゲージを始めてから、より顕著になった。
まるで、体の中にふたつの思考回路を持っているみたいだと時々感じる。
実践部隊と企画戦略部隊。
企画戦略部隊は、実践部隊には、必要なことしか教えない。
人に話して良くなるまで、概念にしては教えない。
実践部隊は、言い訳したり、人に話してしまったりするからだ。
2つの部隊は、性格が違う感じがする。
そして、この2つの部隊は、ある時期から、非常に協力し合うようになった。
クリーンランゲージは、左脳と右脳、体と心を結ぶ。
協力し合うようになった2つの部隊で、リーダーをとったのは右脳、企画戦略部隊だった。
左脳、実践部隊は、企画戦略を練るのをやめた。
練られたものを概念化、行動化することに集中し始めた。
自分については、その方がスムーズだ、と気がついたからだ。
人と同じでなくていい。
脳と体を使うのは、自分の人生上だ。
自分ができればそれでいい。
分かち合うために、最も効率的で生産的で、自分のパフォーマンスが高い状態が作れればそれでいい。
そして6年。
私の体は、ピンクの光、愛、をさらに現実の名称として伝えてきた。
理由は、私の頭に勉強してもらいたいからだ。
大学の授業を受け、テキストを読み、テストを受け、資格をとってもらいたいからだ。
セッションとは違い、福祉の世界には、資格が必要だ。
最終的にやることは変わらない。
今までと同じだ。
セッションも続ける。
私が人の相談に乗るのは、子供の頃からずっと続き、もはやライフワークだ。
私は、人の相談に乗ったり、教えたりする。
ただし、今度は、現実に介入できる。
その概念が新しく人生に登場し、それからそうだな、黄色いバスもそうだと私は思った。
愛が、福祉、という2文字に変わった日、これが私の愛の形だというものを、人生の後半で、私は現実化させると思った。
なぜなら、企画戦略部隊が、名称を教えてきたからだ。
その場所で、クリーンなアプローチをやろう。
まずは地道に現場から。
そこに現れる感情を、体で体験して、理解できるようになるために。
理解する努力もまた、私の愛の形なのかもしれない。