日常

遡ること2015年1月。

私は、自分の理由で、自分の体の中にある国境線を取り払った。
それがあるがゆえに、私は孤独なのだ、という自己都合。

英語でしてもらったクリーンランゲージのセッションの中で。

私にとっては、日本人だけが周りにいると余計に落ち着かない。
外国人だけでも落ちつかない。
私は、外国人の中に日本人が混じっている環境にいる時、落ち着く。

そういうこともその時知った。

そこから3年半。

ある夕方から夜にかけて、私は仕事の打ち合わせを2つ続けてした。
1つ目は、アジアのある国に関わる話、2つ目は、アメリカに関わる話。

共通していたのは、私がそこへ行くのではない、ということだった。

夫に、そういうわけで、あなたが帰ってきた時私は仕事してるから声をかけないでくれと連絡すると、夫は、グローバルだな、と言った。

これをグローバルというのか!と思った。
私の会話は全て日本語である。


同時に、ここ数年、私はやむにやまれず、仕方なし、英語でのメールのやり取りをたまにする。
ネイティブって親切ねと思うのは、やりとりをする相手の人たちが、返信メールで、さりげなく私の英語の間違いを訂正した文章を送ってきてくれることで、三年前は、恐ろしくて書けなかった英語のメールを、最近は抵抗なく書けるようになった。
ひどい間違いは、直してもらえるとわかり、むしろ新しい言い回しを使ってみようとチャレンジするようにすらなった。

ああ、これも、グローバルだ、、、と今思った。


また、出かければ、道に迷った外国人にしょっちゅう道を聞かれる。
年中いるけど、今から夏休みだから、またさらに多いかもしれない。
私は、パリとロンドンで、本当に町の人に親切にしてもらったので、大阪を訪れる人には親切にすると決めている。

その中で、英語は結構通じないということに気がつき、いっそのこと日本語の方が旅気分が味わえるのか?と、今、検討中。


なんで、これらを今書いたかというと、あ!メタファーだ!国境線を無くしたからだ!と、さっき気がついたから。

3年半、私の体は、私が快適に過ごせる環境を静かに整え続けた模様。
何を目に入れるか。

私の日常の中にある外国を、私が気がつくように、体は動き続けていたのだろう。


理由はシンプル。
その方が私が快適に過ごせるからである。

成功したいとかじゃないとこがね、また、自分らしい。笑
外からは多分違うように見える。


そして、私は知った。
自分は、成功のためならめんどくさくてできないことが、快適さを手に入れるためならできる。

快楽主義者だな、と、改めて。