神さま、もう少しだけ

「次のイタリア出張の時には、君たち2人も一緒に連れて行ってあげたいなと思ってるんや。」


昨日、父が、そう言いました。


私の父は、私が1歳半から4歳になるまでの間、スペインで暮らしていました。

妹が初めて父に会ったのは一歳になる頃でした。


77才になるまで会社に雇用され続けた彼が何を仕事にしてきたか、家族は一切知りませんでした。

彼もまた、仕事の話は語ろうとしませんでした。

彼は、遊ぶために働いている、が、ポリシーの人で、休日は、遊ぶのに忙しかったのです。


しかし、ここ数ヶ月で、父がポロっと口にした物の名前から、父がした仕事は、Wikipediaにも記録されていて、彼があるもののために30代の頃に開発した部品が今も、ヨーロッパやメキシコ、アジアの一部で走り続けていることを知りました。


というわけで、私の父は、現在、精神年齢が30歳台の時間が長いのです。



話は長くややこしいので短く説明すると、少し前に、彼は、ひとりで思い出の地めぐりの自転車遠足を楽しんだ後、警察につかまり、現在、本人的には、スペインの刑務所に囚われています。

そして、脱走計画を練っています。


(前回の入院は、設定がホテルで、サービスが悪いと怒ったり、勝手に外出して大騒ぎしていました。

刑務所は大人しくしてくれるので、設定としては悪くはありません。ベッドの中で、目をキラキラさせて脱走計画を立てているので、なかなか楽しそうです。)


私と妹は、最近、毎日、父に会います。

目の前の娘たちが、彼の目にいくつに映っているかはわかりませんが、私たちが娘だということはわかっています。


そして、私たちを相手に、いかにしてここを脱出するかを語ります。



そしてやがて、ある一瞬、父は、病院にいることに気づきました。

そうすると、父の人生に、ある人が生き返りました。


その人は、心臓が悪く、しょっちゅう病院にお世話になった人です。


「おやじはどこへ行った?おやじの病室は?」


マザコンだった彼が最初に会いたがるのは祖母だろうという全員の予想を裏切って、父の世界に最初に復活したのは、祖父でした。


私と妹は、顔を見合わせたあと、2人とも満面の笑みで、「おじいちゃんは、今は、家にいる!」と言いました。

私たちは2人とも、祖父が大好きでした。


嘘ではありません。

祖父の仏壇は、私の実家にあります。


そして、「おじいちゃんが生き返った!」と、帰り道、私と妹はご機嫌でした。



また、不思議なことに、幼い頃、父と一緒に過ごせなかった時間を、3人で埋めて行っているような気分になりつつあります。

私たちは、実に、よく笑っています。


彼は単身赴任や出張が多かったので、私が大人になって家を出るまでに、私が父と暮らした時間は10年ちょっとです。

けれど、そこにも、私や妹は、ちゃんといたのだと父は教えてくれているような気がしました。


ヨーロッパのあちこちに、父は、心の中で私達を一緒に連れて行ったのだと知りました。



悪くない、と、思いました。



最後のリキャップだ、と、思いました。


小さなホビットが、はじまりのベルを鳴らすまで、神さま、もう少しだけ、と思いました。