100歳の父
「100歳になるまで、あっという間やったなあ」と父が言いました。
私は「お父さんは、今、何歳?」と聞き返しました。
父は「100歳」と、淡々と答えました。
父は79歳です。
まもなく80歳になります。
父は続けて言いました。
「人生後半戦は、人にも迷惑をかけたけれど、いい人生だったなあ。」
この人は、65歳の時に余命宣告された時にも言いました。
「僕は、自分の人生に全く後悔がない。上出来だ。いい人生だった。」
77歳で、会社を退職した時にも言いました。
「人との出会いに恵まれた幸せな会社員人生だった。開発の仕事は、本当に楽しかった。」
なんど振り返っても、彼は「いい人生だった」というのでしょう。
自分の人生に対する深い自己肯定感がそこに流れているのを感じます。
そして、それから、父は言いました。
「今日の夜、自転車で家に帰ろうと思うんだけど。」
その前日、この人は、動かないはずの体でベッドの柵を乗り越えて、床を匍匐前進しているところを確保されていました。
目がキラキラしていたそうです。
私は言いました。
「お父さんは、骨折しているから帰れない。」
父は言いました。
「お母さんが、僕が帰らないと心配するなあ。電話して。」
そして、私は父の目の前で母に電話し、父と母も少し会話をしました。
仙人のようなことを言い出したかと思えば、無邪気に脱走をはかる、行ったり来たりする父の世界を、迷うことなく共に動けるのは、メタファー・ランドスケープに慣れていたおかげだと、私は自信を持っていえます。
メタファー・ランドスケープと、認知症の人が繰り広げる世界には大した差がありません。
他者のメタファー・ランドスケープは、同じくらい、理解不能です。
そこを、共に楽しむスキルが身についていたことが、私の心を軽やかにしています。
仙人とでも、5歳の男の子とでも、話はできる。
私が理解する必要はないのだ、ただ、その体験に寄り添えばいいのだと、私が知っているからです。