DAY167: そうすると、何が起きますか?
そうすると、何が起きますか?
すると、この話が浮かびました。
「聖書の成り立ち」「哲学のはじまり」
そんな感じのこと。
私はやはり、自分は、すごく貴重なタイミングに存在しているのだと感じました。
自分だけではなく、今、クリーンランゲージの様々に関わっている人たちで、デイビッド・グローブの死後にクリーンランゲージを知った人たち。
例えば、キリスト教でいきましょう。
まず、キリスト自身が信仰していたのは、キリスト教ではありません。ユダヤ教です。
過去からの流れの中に、彼もいました。
そして、聖書は、キリストが書いた物ではありません。新約聖書の後半のほとんどは、パウロが書いています。4つの福音書以外のほとんどです。パウロは、実存するキリストには会ったことがありません。
パウロは手紙魔、もしくは、筆まめ、で、やたらめったら手紙を書きました。
つまり、文書を残しました。
書いたものの量は、この人がいなければ、キリスト教は体系化できなかったのではないかと感じるほどです。
キリスト教を信じる人たちは、神やキリストの言葉でない言葉にも救われています。
そして、パウロが書いたものは、キリストの言葉ではないけれど、キリスト教のものです。
ユダヤ教を信仰していたキリストが始祖となった宗教が、キリスト教で、キリスト教とユダヤ教は、一部、同じもの(旧約聖書)を経典とします。
ですが、キリスト教は、ユダヤ教よりも「一般化」されています。
また考え方が違う部分もたくさんあります。
...という話に、クリーンランゲージの世界が、今から置かれる位置は似ているなと、前から思ってはいたのですが、また、思いました。
何度か、ご本人にも伝えたことがあるのですが、私は、シンボリック・モデリングの開発者のひとり、ジェームズ・ローリーに非常に感謝しています。
それは、彼が、ほとんどを書き記し続けてくれたことに対してです。
「あなたは、まるで、パウロかプラトンみたい」と、彼になんどか伝えたことがあります。
最初の人というのは書かないものなのかもしれません。
その彼が、これも何度か言ったり、書いたりしていました。
「クリーンランゲージと、シンボリック・モデリングは別物だ。シンボリック・モデリングは、クリーンランゲージを使うが、別のモデルだ。」
同時にこちらも。
「名前は単なるラベルで、自分たちは、それに煩わされたくはない。好きなように呼べばいい。」
日本でクリーンランゲージといえば、それは、私が知る限り、シンボリック・モデリングの話を、みなさん、したり書いたりされています。
今回、インターネット上を調べて回りましたが、シンボリック・モデリングのことを、クリーンランゲージと紹介されていました。ほぼ全部。
最初に日本に紹介されたクリーンランゲージは、シンボリック・モデリングでした。
だから、最初はそれでよかったんですね。
それしかないですから。
唯一、日本語で出版されていた本のタイトルもそうでしたし。
クリーンランゲージって、むちゃ、キャッチコピーとしては、イケてるよなと、私も思います。わかりやすい。
そうして次に、システミック・モデリングが輸入されました。
それから、クリーン言語。
それから、クリーン・インタビュー。
この他、まだ日本には入ってないけれど、クリーンランゲージを基にする技法には、クリーン・コーチング、リスニング・スペース、アジャイル・クリーンコーチング、ボディワーク用のクリーンランゲージ、あと、他にもあった気がしますが...。
これらは、日本に輸入されることがあるのか、ないのか。
さあ、私はどうするかな...。
...私は、翻訳をがんばろう。
私の中で起きたことは、「翻訳をがんばろう」という思いが湧き上がったことでした。
名前については、やがて、デイビッド・グローブを知る人が誰もいなくなったとき、もしも、「クリーンランゲージ」が残っていたなら、そこで、誰かがきっと整理するだろうと思いました。
いわば、私はパウロやプラトンの下で修行してきた弟子っこの一人なわけで、私が教わった大事なことのひとつには、文字の価値もあるからです。
翻訳さえしておけば、私の後に現れるもっと賢い人が、なんとか考えるだろうと、思いました。
「最初が肝心だ。日本はまだ間に合う」と彼は私に言いましたが、どうだろう?
間に合うか、間に合わないか。
微妙です、師匠!と、私は思いました。
なぜなら、言葉にはこういうルールもあるからです。
多数が使う言葉が、正解になっていく。
そういうものです、言葉とは。
だから、シンボリック・モデリングのことを多数がクリーンランゲージと呼ぶのなら、クリーンランゲージが正解なのです。
一応、私の見解は、クリーン実験室のホームページのトップに貼り付けてみました。
そんな感じのことが起きたこと。