私のままで。すると次に何が起きる?
自分にもたらされる様々なメッセージの中で、私が一番重要視しているのは、直接、自分に向けて、他人の口から語られる言葉だ。
若い頃は、そうではなかった。
目の前にいない他人が語る言葉が気になったこともあった。
長い長い時をかけて、それらは、少なくとも、自分自身には何の意味も持たないと気がついた。
と同時に、最近、目の前にいない人の話をする時間もまた、自分にとっては全く無意味な時間だと気がついた。
ほとんどの場合、その会話から何も起きないからだ。
友人や身内と旧交を温める時に、みんなどうしてる?と、互いの無事を確認したり、近況を確認したり、暖かな会話をする以外は。
人生の残りはこれまでより短いだろうと、身内の平均寿命からなんとなく感じた中で、自分は何がやりたいだろう、何ができるだろうと、さらに考え始めた。
その結果、自分にとって意味のない時間を減らしていきたくなったのだった。
自分に無関係の他人の人生に巻き込まれたくない思いが、最近、非常に強くなった。
世界は一つで、私は基本的には博愛主義だが、直接関係しない人がほとんどの中で、直接関係している人達はなんと稀有な存在かと、その重要性をひしひし感じたということもある。
意味のない時間は問題で、減らしたいや巻き込まれたくない(巻き込まれるは問題、たくないが望み)は望みなので、私のこの発言は、レメディ(問題回避策)だ。
ここで止めると、人生は常に問題を解決するだけで終わってしまう。
というわけで、私は、さらに考えなくてはいけない。
自分にとって意味のない時間が減り、巻き込まれないと、「それから何が起きるか?」を。
「すると何が起きる?」
この後浮かぶことが、私の本当の望みだ。
そしてこの場合、人生が輝くと浮かんだ。
自分の人生を輝かしたい、それが私の望みの模様。
そしてここでは止めない。
それは「どこにあるのか?」
輝かすはどこに?
自分の人生はどこに?
その輝かすは「どんな(輝かす)か?」
自分の人生を輝かす「ために、何が起きる必要があるか?」
「何か必要なサポートやリソースはあるか?」
問題の影には、必ず望みが隠れている。
問題の内容によっては、まず問題解決に必死になる必要がある場合もあるが、だいたいの場合は、望みの方を見ればそれで事足りる。
自分自身が、自分に問いかける場合には。
さて、人生を輝かす。
それはどんな人生を、どのように輝かすかといえば。
なんてびっくり。
私が随分前に生み出したシンボル(イメージ)が、成長した姿で現れた。
胸にあった小さな黄色いシンボルが、今や、私の全身サイズになっていて、自分になっていた。
私はその小さな黄色いシンボルが生まれた時、それは他人に貸せると言っていた。
そして、あらまあ、と思った。
ひどく矛盾したように見える願いがそこに現れたからだ。
私は、もはや、その小さな黄色いシンボルを他人に貸すのではなく、自分自身を他人に貸したいのだと。
つまり、そのシンボルの状態の自分の時間を他者に提供したい、が、私の望みだ。
なんと、減らしたい時間の裏にあったものは、増やしたい時間。
それは直接自分と関わる人に向けた時間。
自分のために時間を使いたいということではなく、自分と直接関わる人のために時間を使いたい、そちらに意味がある、と判断している模様。
自分がシンボルが表す状態で。
この小さな黄色いシンボルだったものは、希望の感覚、を意味します。
それはもう、何も作業しなくても、全身になっていたので、つまり、私は私のままでいい、起きる必要があることも何もない。
すでに、未来がここにあることに気づけ、と、そのシンボルは、そう私に教えたのでした。
となると、次の質問があります。笑
「そして、未来がここにある。
すると、次に何が起きる?」
この続きは、現実で。