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持っている好きなもの。
持っている強み。
持っている価値あるもの。

シンボリックモデリングでは、それを、リソースと呼ぶ。
リソースの定義はさまざまだが、この場合、持っているだけでは、リソースとは言わない。


持っている、好きで、強みで、価値あるものを、好きで、強みで、価値があると人は必ずしも、認識しているとは限らない。


今回のこの3年の一連を振り返った時、それは、私が、おそらく生まれながらに持っていた強みで価値あるもので、なおかつ、自分も好むものを、はっきりとリソースだ、そう認識したところから始まった、と、私は感じた。

それがなければ、今回の催しは成立しなかったからだ。
友人たちのサポートがなければ、確実に成立しなかった。

今回、私の夢が叶った催しは、さまざまな理由から、採算が合わないとはじめからわかっていた催しだったが、それでも成立できたのは、友人たちがいたからだ。
今から育つ可能性がある新しい友情も含めて。


私が長らく無自覚だったリソース。
それは、「友情を築く力」「友情」だ。


今から3年前、シンボリックモデリングのはトレーニングの合間の休日に、私はそこで出会った同じホテルに泊まっていた友人と海へ繋がる道を歩いていた。
泊まっていたホテルから海までは、歩いて20分ほどの距離だった。

私たちは、毎晩、話していて、その頃には仲良くなっていた。

その時の会話で彼女が言ったことを、私は今も覚えている。
彼女は言った。
「気づいてなかったの?」

彼女は、友情を築く力のことをそう言った。
それは、少し前に、彼女が私に提供してくれたトレーニングの中のセッションで登場していたものだった。


それはものすごくパワフルなリソースだった。
私がそのメタファーについて描いた絵は、それまで、私がメタファーについて描いた絵とは全く違う種類の絵だった。

それまで私が描くメタファーの絵は、簡潔であっさりしたものが多かった。
私は、それを、自分の画力のためだと思っていた。

そうではなかったらしい。
私が描いたメタファーが、パワフルでなかったから、私の絵もまた、パワフルではなかったのだと、私は今は感じている。

(誰もがそうだということではなく、私個人の話として、そう思う)


ともかく、そのパワフルなリソースについて、私は全く無自覚だった。

私が人なつこいのは生まれつきで、小さな頃は、そのために、母はいつか私がさらわれると心配していた。
友達はいつでもいたし、私がそこに対して何か努力を(自分が努力だと思う努力を)したことはなかった。

また、私だって、普通に友人関係に悩んだことはあり、友情は問題として存在することも普通にあった。
離れていった人もいくらでもいる。

私の友人の人数が多いかと言われれば普通だと思う。
(後に、いや、多いだろうと人から言われたことはあるが、何人が多いのかは、今もわからない)


それでも、そのリソースは強力だった。
絵を描いて、目で見て、自分でもそれがよくわかった。

私のこのリソースは遺伝的なもので、よく似た人がひとりいた。
祖父である。

あんたのその人なつっこさはおじいちゃん譲りねえ、と小さな頃からよく言われていたことは後から思いだしたが、それが褒められていたのだと、私は全く理解していなかった。
ただ、おじいちゃんに似てるわねえ、と言っているだけに私には聞こえていた。

祖父の人なつっこさは私の比ではなく、彼は、もう本当に3秒くらいで、誰とでも旧知の人のように仲良くなる、人の心をするっと和ませる人だった。
祖父が楽しげにだれかと話していた後に、あれ誰?と聞いて、知らん、と祖父が答えたエピソードは、親戚の中に山のようにある。
彼は、40歳から無職だったのに、葬式に200人越えの、身内が知らない友人達が集まった人だ。

そんな人を見ていたのもあったと思う。
友情を築く力がものすごい人。
桁違いの。


そして、あまりにも、当たり前に、生まれた時から持っているリソースに、私はあまりにも無自覚だった。

無自覚なのだから、もちろん、強化しようとしたこともない。
無自覚でも、それは十分に私を助けていた。

しかし、同時に、少しの問題を引き起こしてもいた。
リソースは、問題を含むこともある。


そして、少し前に、その一緒に歩いていた友人とのセッションで起きたことは、その問題を取り払い、エターナルリソース(決して枯れない海)と、友情を築く力を意味するメタファーとを結びつけた。


それから、その友情を築く力を意味するメタファーは、進化を遂げはじめた。


一度刺激されたメタファーは、発展し続けるという特徴がある。
これは、シンボリックモデリングのセッションが持つ特徴だ。

創造的に発展する方向性に、そもそも話を促しているためだ。
そのセッションに、問題を解決する意図はない。
新しい何かを生み出す創造が、その開発者の意図だ。


というわけで、私のメタファーは、素直に発展し続けた。

断続的に。連続的に。


そして、その友情を築く力という意味のメタファーが登場した後、さまざまなリソースや新しいプランが、生まれはじめた。

それは、そこまでとは、全く異なるスピードだった。
新しいなんだこれ?というメタファーが、ぽんぽんと生まれた。


そして、やがて現れた、最もなんだこれ度が高かったメタファーが5分で計画し、次になんだこれ度が高かったメタファーが10分で計画をまとめたものが、今回、私が開いた催しだ。



そして、その催しの最中、私は、友情を築く力というメタファーが、変容していたことを確認した。
それは、別の名前、別の形になっていた。

色は最初と同じだが、新しい色も加わっていた。
メタファーのその形状も変わって、最初にばらまくといった花びらもまた、別のものに形が変わっていた。


友情に限定されないあるものへと、それは姿を変えた。


そうして、私は、今、祖父を思いだした。
祖父がばらまいていたものもまた、これだったのではなかろうか?と。

友情に非常によくにた温かな体感をもたらすそれは、だが、別の名前だ。



きっと誰もが生まれもつリソースがある。
実際、セッションの中で、クライアントがそういうのをなんどか聞いたこともある。

「これは、生まれる前から持っていた」、「お母さんのお腹の中でもらった」などと、そのリソースの由来が遺伝的である可能性を示唆する発言だ。


その生まれつき持つだろうリソースは、強いがゆえに、問題を生むこともある。
だが、それを真にリソースだけに発展できた時、そのリソースが生み出す新たな展開は、人の人生の可能性を爆発的に拡大するのではなかろうか?と、今、私は考えはじめている。


生まれた時から持っていたものからはじめよう。

そんな感じ。