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夢のアウトカムは、リソースを強化する中で生まれた。


強化されたリソースとリソースは、絡み合い、新しいリソースを生み出したり、それまで存在した形と違うリソースに変容したりした。


それはもう、単にただ強みを強化する、という話ではなかった。


私は、自身のリソースの強化にクリーンランゲージに関わる技法の中の、癒しをメインとして扱わない技法2つを使った。
まあ、たまたま勉強していたのが、その2つだったわけだが。


シンボリックモデリングと、クリーンスペース。

この2つを組み合わせた時、私のリソースは、どんどんと伸びやかに変化した。
自由に考えていいよ、というそれらが、気質にあったのかもしれない。


私は、時折、物を考えるスピードが速いと言われる。
ぽん、と、話が何段階か飛ぶことがあり、話を聞いている人に、わからない、順に話せと言われることもある。


それは、セッションを受ける時ですらそうだったが、この2つは、相手が自分を理解しているかどうかは気にする必要がない技法で、だから、私は、好きなように話を自分にわかるように展開することができたのだと思う。
相手を気にしなくていい、相手はついてくる、そう信頼していたのだと思う。

なぜならば、自分が、その2つを使う時、いつでも自分が必死だからだ。
どこまで相手の思考についていけるかに。


夢は、それが生まれる瞬間、他人の共感を必要としない。
生まれた後には、他人の共感を得ることが必要になるが、生まれるその瞬間、必要なものは、他人の共感ではない。

どうやって共感するというのか。
まだ、存在しないものに。
本人にすら不確かなものに。


癒しの時に必要なことと、夢を生み出す時に必要なことはやや異なるな、と、私は気がついた。
エネルギーのベクトルが、過去か未来かという違いだけでなく(どちらにしても今の話ではあるのだが)、そこに必要なサポートが異なると思った。

だが、同時に、夢を生み出したこと、リソースを強化したことは、癒しを生んだ。

癒そうとしたわけではないが、癒しは生まれた。
それはほっておける程度の傷ではあったが、夢のためには、それを癒すことが必要だったからだ。


そして、夢が叶ったその日、その傷は私を離れていった。


これについては、過去にも経験があり、私はどんな癒しの技術も、幸せな1日には敵わないという自論を持っている。

現実の持つ癒しの力に、技法は敵わない。
その現実が訪れるまでのつなぎが、セッションだろうと思っている。


そしてこの場合、リソースの強化が、その現実の1日につながった。


ありふれた結論だが、リソースの強化。
これが、夢の実現には近い気がした。


そこに、メタファーを使うこと。


そして、メタファーで物を考える癖をつけること。