2週間
いろいろあって2週間。
ようやく落ち着く。
先週、地震。
朝早くから、猫たちが窓に集まり外に出せと言うので、いつもより早くベランダ散歩にしたら、ぐらっときた。
レイチェルとモニカは、家の中に駈けもどり、ももとチェルシーはあれ?という顔をして止まったので、抱き抱えて部屋に戻った。
家の中は、もともと地震があるという前提で背の高い家具もなかったし、揺れの感じで、ああ、これくらいなら大丈夫だと思ったが、窓を開け、水を貯めた。
水とガスは止まるかもしれないな、くらいの揺れだった。
猫たちは、外に出たがらなくなった。
2日後、チェルシーが禿げた。
胸のあたり。
病院に行って、地震のストレスで自分で毛を抜いたのだろうとなった。
私は猫とうさぎの餌を買い込んだ。
もしもの時、人間の食料はほどなく配給されるだろうが、猫とうさぎのえさはそこにはないだろうと思った。
1週間、なんとなく落ちつきなく過ごして、日曜日に熱を出し、熱も下がって、今週。
仕事が詰まっていて徹夜をした。
なぜだか、アイデアもどんどんわいて、手をつける気がしなかった自分のセッションのホームページも手をつけた。
ふんぎりがついたことがあった。
水曜日、疲れてふらふらしながら、親友の結婚パーティーに行き、幸せそうな姿に安心し、また楽しんで、ふらふら家に戻った。
その次の日、チェルシーは、避妊手術の予定が入っていた。
チェルシーはもともと耳が聞こえない分神経質だが、私と離れておいていかれた分離不安からパニックを起こし、病院で大暴れをし、予定より早い時間に呼び出され、迎えにいくことになった。
見たことのない泣きはらしたような顔をしていた。
チェルシーは痛みには強いから、ひとりで怖かったのだろう。
手術自体は問題なかったが、チェルシーの今後、少し先の未来の可能性の話を聞いた。
それは前から聞いていた話だが、2歳になったら、という具体的な年齢がついてきた。
あと一年。
そして2日経って、今日、なんとなく、ああ終わった、落ち着いた、、、と思った。
今日はもう猫たちも、普通にベランダの散歩を楽しんでいる。
チェルシーのはげもだいぶ治った。
チェルシーは精神的にしばらく落ち込みが続くかもと言われていたが、落ちこんでいるというより私に怒ってすねているようだった。
彼女は神経質ではあるが、気が強いのだ。
しかし、つい先程、もう許してあげるわという風に、いつもの様子に戻った。
彼女はまた飽きっぽいのだ。
拗ねるのに飽きたのかもしれない。
ともかく嵐のような2週間だった。
その間、いくつかの友情が深まったり、新しい出会いもあった。
常に大事なこと、やるべきこと、大事な人、するべき話がはっきりしていて、頭の中は非常に軽やかだった。
生きることがとてもシンプルで、こういう感覚は嫌いではないと思った。
嵐の中は、生きることがシンプルだ。
毎日だと疲れるけど。
いろんなことがどうでもよくなり、生きることに集中できる感覚。
常に今にいる感覚。
それから、私は自分が、この二十年近く、本当に今日が最後の一日だと思って生きてきたことを知った。
そのつもりだったが、本当にそうだった
地震で死ぬことが全く怖くなかったのだ。
私は、明日、自分の人生が終わることが全く怖くない。
どこで死んでもやり残しはあるだろうから、今やってることが途中で終わるのはなんとも思わない。
明日、地震が起きて死ぬとして、、、それはいつもと同じだと思った。
別にとくべつなことではないなと。
私の人生は、いつでも今日が最後の一日なのだから、と。
破壊されたら、また、やり直せばいいだけだし、生きていればなんとでもするだろう。
辛いことは地震でなくても、起きるときは起きる。
ただ、猫とうさぎが苦しむのは嫌なのだ、ということはよくわかった。
自分はいいけど。