2017.8.30:たった一文。

2017.8.30

さて、そして今日も朝から考える。
たった一文。

What would you like to have happen?


ここで、頭の中の流れを整理してみよう。。。


教授が指摘してくれた私の文法的解釈の間違いは、私が感覚的に感じていた部分とはずれはなく。
私は、主語でそれが起きていると感じていました。

英文について、ひとつ、大きく解釈の間違いはありましたが考えることが減ってよかったと思いました(笑)
残ったのは、最初から感じていた、主体の話でいけるという感覚でした。

着眼点はずれてないことは幸いでした。
まあ、ずれてれば、また最初から考えればいいだけですが。
トライ&エラーを繰り返せばいいだけの話。

私はこの話は、納得するまで降りないと決めています。
好きなんでしょね。


考えるのは主体と、あと、音の話。
読み言葉なら、話はもう解決したのですが、クリーンランゲージは、話言葉です。
目では文章を理解しません。
そこには音が関係します。


主体の話は、日本語では、あなたはという主語は割愛されることが多く、響きとして自然なのは、あなたは、を言わない方ですが、私は、主語を割愛しないことで、自らがのニュアンス、を表現できると考えていました。
どこかに書いています。

最初に、私がこの一文の訳を考えだした時に目がいったのは主語だったからです。
理由はシンプルで、主語をいう時と、言わない時で、クライアントの反応が異なったからです。

主語がyouの時、あなたは、を割愛しないことにした後、それでもまだ英語と日本語で反応が異なりました。

日本人の気質ではないということは、同じ人が、英語と日本語で質問された時に異なる反応をすることで確認がとれました。
人ではない、言葉だと。

やがて、日本語と英語は、そもそも会話の主体が異なるということを知りました。
英語は、話し手が主体。
日本語は、聞き手が主体。

主語だけで、この質問の主体が話し手であるそこが現せないなら、have happen、起きればと現在、主に訳されている部分についても検討が必要だなと感じたのでした。


ここで、話はそれるようですが、私は、先日、ある友人に誘われて、ゴスペルコンサートに行きました。
そこで友人が、『もろびとこぞりて』という有名なクリスマスに歌う歌の歌詞の話をしてくれました。

その歌詞は、英語と日本語で、大きくニュアンスが異なると。

そもそもこの歌は、自分達が飛び出していくというような広がりを持つ歌詞なのだが、日本語では、向こうからやってくる訳になっていると友人が話していました。
受け身に変わると。

へえ〜、、、といいながら、似ているなと感じていました。


そして、ん〜、、、と思った私に、昨夜あるメールが届きました。

明らかに私より長く、深く、クリーンランゲージを理解していると思われる方からのメールでした。
頭脳明晰な方。
その方と私は面識がありませんが、近々、お会いすることになりました。

最近、優秀な頭脳に縁がございます。
私の脳はたいしたことはありませんが、たいしたことがなくて困らなくなってきました。
私は別のものを提供します。


で、私、「人には自らで自らを変容させていく力がある」というクリーンランゲージだけでもないけれど、クリーンランゲージの原則をそこで思いました。

そして、自分がこの質問の主体にこだわるわけ、訳にこだわるわけ、に気がつきました。


愛だ、愛、、、と思ったのでした。
論理的に考えていたはずなのに、話がポンと抽象的なところに飛ぶ、それはまた、私の脳のパターン。

まあ、しかし、それで、私は自分が今、何をやっているかに気がついたのでした。
だいたい、後から気づきます。
そのため、人から見て、私は何をやっているかわかりにくいことがあるようですが、本人だって途中までわかっちゃいないことの方が多いです。

動き始める時には、やりたい、だけで理由は十分。
私には。
というか、やりたい、と思ったら体は動いてしまうのであり、時に、やりたいと思う前に動いていることも多いので。。。


で、今、理由に気がつき、新しい出会いが待っているのでした。
たった一文を探す旅。

これは長い長い旅になるねえ、、、、とだけ、理解し始めたのでした。


旅つづく。