書き忘れ
番外編。
クローズするのが少し早過ぎました。笑
日本語で書いておかないといけない日記がもう一つだけありました。
25年経った実験結果の報告です。
10年以上前に書き始めたブログを最初から読んでいただいていた方は、私がなぜ、自分の人生で起きる心の中の動きを、ブログに書き続けてきたかをご存知だと思います。
最後の方は、クリーンランゲージだらけになっていましたが、そもそも、私がブログを書いていた理由は二つでした。
1.クライアントさんたちを励ますため。
私はクライアントさんの現実には介入できません。
私は黒子です。
私の考えでは、私は存在しない存在です。
セッションに来られるまでは、私とクライアントさんは基本的に他人です。
私と仲良くなるのではなく、クライアントさんの現実にいる周りの人々と仲良くしていただく必要があります。
そのため、セッションをきっかけに知り合った方たちとの個人的なお付き合いはできる限り避けてきました。
ただ、がんばれという気持ちはいつもありました。
当時、私にできたことは、私を見せることだけでした。
一個人としての私も頑張る。一緒に頑張ろう。
2.実験記録をつけるため。
そもそも、私が、自己成長に取り組みはじめたのは、そうしなければ生きていられなかったという追いつめられた状況に、25歳の私が陥ったのがきっかけです。
そもそもは、私の興味は、人の心よりは音符、洋服、コスメ、花、友達とのおしゃべりにありました。
好きな仕事はすでにしていましたし、最初の夫は社長の息子で、持ち家もあり、お金は余っていました。
当時まだ珍しかった一軒家を貸し切っての披露宴に、フォーシーズンに泊まる新婚旅行から、私の結婚生活はスタートしていました。
友達にも恵まれていました。
私は母親との間に確執を抱えていましたが、結婚で家は出ていました。
当時の私は気づいていませんでしたが、本当に恵まれた人生、人生薔薇色状態でした。
25才、私はそこから一気に突き落とされ、自己アイデンティティの崩壊を起こしました。
苦労知らず(当時はそうは思っていませんでしたが)で育った人の人生に訪れた挫折でした。
きっかけは「喪う悲しみ」
私の心は、それに異常に弱いことが後からわかりました。
それだけで、私の心は、アイデンティティ崩壊を起こしました。
自分でないものを自分の人生の中心軸にしてしまったことが招いた結果であることも、あとから理解しました。
また、人生には、自分では選べないことがあることを、全て失うという形で、体験しました。
自分が好んで手に入れたもの、自分を支えてきたものを一気に無くしました。
暗黒の一年のあと、私は人の心に興味を抱きました。
「悲しいだけで病気になるなんて、人の心は不思議だ」
......
そうして、25年。
人生のやり直しと、自己アイデンティティの確立、傷ついたインナーチャイルドを癒すところから始まった私の実験。
.......
実験結果を書きます。
今年の11月半ば、私はポルトガルの道の上をひとり歩いていました。
私がそこにいたのは、クリーンランゲージの集まりに参加するためでした。
今年の春、招待状がメールで届きました。
何の違和感もなく、近所の道を歩くようにそこを歩いていたとき、突然、ふと思いました。
当たり前みたいに歩いてるな。
けど、ここ、ポルトガルやで。
なんで、なんの感動もない?
なんで、当たり前みたいに感じてんの?
これが、私の実験結果です。
当たり前が変わるために、どんなにたくさんのことを、この25年の私が頑張ったのか、私は知っています。
当たり前が変わるまでに、どんなにたくさんの人の愛や協力がそこにあったのかを、私は忘れません。
そうして、今、私は、人生をやり直すためにも、自己アイデンティティを確立するためにも、自分を癒すためにも生きていません。
母とは、程よい距離で、平和的に共存しています。
彼女が、自分の子どもに注いだ愛を、私は今、自分の中に温もりとして感じることができます。
25年先に、違う当たり前がある人生があることを、25歳の私は知りません。
はじまりには、誰も、何も知りません。
なぜなら、それは、その後の望みや選択次第で全て変わるから。
少しだけ立ち止まって、見えない未来に、希望の最後のひとかけらを託した25歳の自分を抱きしめてやりたい。
ともに生きてきた人たちを抱きしめたい。
今、そんな気分です。
少ししか時間はありません。
なぜなら、私にはやることがたくさんあります。
選択を重ねた先に、よもやこんなことになっているとは思いませんでしたが、私は先生になっています。
生徒とはやがて友達になれるので、もしかしたらこちらの方が向いているかもしれません。
人に何かを教えること、自分が持つ知識を人に分かち合うこと。
知識は、私の愛だから。
私が選んだ最後の仕事は、私を救ったM先生が人生の最後まで続けた仕事と同じでした。
「ひよっこだね」と、にやにや笑う先生の顔が見えるようです。
そうね、先生のところまで、まだ30年あります。笑
クリーンランゲージの先生たちのところまでも、まだ25年あります。笑
遠いわ。笑
そして、私の人生最後の夢。
やがて、私は、アフリカの道の上を当たり前みたいに歩いているのだろうと思います。
アフリカだけじゃないかもしれないな。
友達と笑いながら、きっと、そこを歩いてる。
......
想像もできないことが、未来には待ってる。
それは、日々の小さな選択の積み重ね。
鍵を握るのは、好奇心と望み。
それから、愛と希望。
必要なものは、平和。
そのために役立つものは、知識。
これが、私の実験結果です。
そして、当たり前のように、英語で日記を書く私もまた、今はいます。
実験は成功でいいのかな?
そう思います。