2017.6.27:縁の下の力持ちに。

朝、目覚めた瞬間、ある場面が脳裏に蘇りました。
本日のブログへネタ提供だと思われます。
一つ前のブログの補足みたいな感じかも。


蘇った記憶の中、私は大学四年生。
当時私は、鍵盤を弾いて生きていく!と思っており、またすでにブライダル系のアルバイトで20万弱は、毎月稼いでいたので、全く就職活動をしていなかったのですが、親に就職くらいしてちょうだいと号泣され、とりあえず就職しよ、と就職活動を始めました。

まともに受けたのは1社。

ある芸能プロダクションの持つ劇団でした。
本社は東京。
蘇ったのは、そこの最終面接の場面。
一次の筆記は、企画を書かされたのを覚えています。
二次面接、そして、最終面接。


志望理由を聞かれて、私は答えました。

「私は縁の下の力持ちになりたいです」、と。
夢見ることは素敵だから、その夢を育てることを手伝いたいです。
自分はたくさんの人に助けてもらってここまで来ました。
だから、今度は、私が誰かの夢の縁の下の力持ちになりたいんです。


せいいっぱいにっこりして言ったのは覚えています。


まあ、結果は落ちたのです。
のりのりないい雰囲気で、面接は進んでいたのだけれど、私が日本映画は好きじゃないと言ったから。
一番好きなのはヨーロッパの映画、と。
日本映画に関係する会社で。

そこまで、勤務地は東京でもいい?プロダクション側の仕事でもいい?と、のりのりで条件面の確認をされていたのに、私が言葉を発した瞬間、潮が引きました。

なんで、そんなことを言ったのか、あれは永遠の謎(笑)
日本映画も好きだったのに(笑)

一番とは聞かれていなかったのに。


その後、バイト先(本社東京)の社長が、たまたま大阪に来ていた時に、就職したいと立話で言い、「おまえ、楽だからうちで働きたいんだろ?」という問いに「いいえ!ブライダルには夢があります!」と満面の笑みを作って答えて、1分で、私の就職は決まったのでした。

あの頃の私は、全般的に人生をなめてかかっておりました。

受験も苦労しなかった、就職も苦労しなかった。
ついでに、最初の結婚も、結婚したいと思ってなかったのにできてしまった。

そういう意味では、非常にスムーズに人生は進んでいました。

その後、盛大にしっぺ返しをくらいました(笑)
人生をなめたつけは、どこかで払うようになってるねえ、と私は思いました。
感心すら致しました。
他人事ではなかったけれど(笑)

ちなみに、つけの支払いは、すでに終わっています。
つけを払うための回り道、寄り道、それもまた人生の王道。


さて。

縁の下の力持ち。


ひとつ前に書いたこと、私が誰にクリーンランゲージを伝えたいと思っているか。

誰、を例えるなら、縁の下の力持ち。


誰かをサポートするために、誰かの夢を叶えるために、誰かの幸せのために、よりよい社会のために働く人達に、縁の下の力持ちとして働く人達に、私はクリーンランゲージを伝えたい。

自分の心を痛めなくても、自分の人生を犠牲にしなくても、サポートはできる、ということを。



人生なめとんか、という大学四年生の私が、今日の私をサポートしたことは、まあ、ちょっと複雑(笑