2016.6.26:長い話。誰にクリーンランゲージを伝えたいのか。

最近、あるきっかけがあって、自分が誰にクリーンランゲージを伝えたいと思っているかが自分の中で非常にはっきりしました。
もともとありましたが、より強くなったといいますか。

普通の日常を生きる人達へ。
会社の中で、子育ての中で、介護の中で、友人関係の中で、人をサポートする役割を負っている人達へ。


私がそう思い始めたそもそものきっかけは、例によって友人達です。
私の昔からの友人の何人かが、会社の中で、適応障害を起こした人のサポートをする担当に当たりました。
また、精神疾患を抱える家族の世話をずっとしている人もいました。
介護をしている人もいましたし、子供について悩みを抱える人もいました。


みなに共通していたのは、コミュニケーションでへとへとになっているということでした。
サポートすることそのものもですが、それを取り巻く人間関係の中で起きる精神的疲弊がすごいようでした。


私は、クリーンランゲージの中に含まれる要素や、簡単に覚えられる質問、考え方などを、試しに友人達へ教えてみました。

私は、よほどでなければ無料モニターはとらないことが多いのですが、これは、私の裏にモルモットをしてくれている信頼関係がしっかりしている友人が何人かいることが関係しています。

私が何か新しいことを始める時は、まずは彼らに協力を依頼します。
彼らのほとんどには、私がやっていることの知識は、私が話す以上にはありません。
特に精神的なことには興味がない人も多いです。
だから、ちょうどいいのです。

意識高くない系の普通の人が使えるもの、を私は模索しております。
意識が高いか低いか気にしておらず、そこに興味がないだけで、意識が高いか低いかといえば、彼らの意識は低くはありません。
人を手助けすることに対して、社会のために自分ができることに対して、日々、行動しています。
実践力は高い。


ただし、意識高い系でないので、自分の意識を向上させたり、自分が成長するためには、お金と時間を使いません。
そこには、人生の価値をおいていないからです。
休みは、家族と過ごしたり、友人と会ったり、趣味をしたり、好きなことをしたり、死んだように眠っていたりします。


私は、こういう人達に、クリーンランゲージを伝えたいと思ったのでした。
なぜなら、楽になり、疲弊しきらないで他者をサポートすることができるから。

そして、クリーンランゲージは、日常で使う程度なら、習得に時間がかからないからです。

クリーンランゲージは、奥が深く、シンボリックモデリングをセッションで使いたい場合は、クリーンランゲージだけができればいいというわけでもありません。
技法はシンプルですが、含まれる要素が多いので、セッション技法としては、アドバンスの技法にあたると感じます。
私はすでにセッションで使用していますが、クリーンランゲージをマスターするのは10年計画です。
クリーンランゲージを「話す」ところまでいきたいからです。


しかし同時に。
日常で使える範囲の習得は、おそらく他の技法よりも簡単です。
実際、3日で初心者が上手に使えるようになるのを二回ほどみました。

そのエッセンスだけをとりこむなら、半日でもいけるのではないか、と、トレーニングを見ていて思いました。

使う、ということだけにポイントをしぼれば、此れ程覚えやすい技法はないと感じています。

なぜかというと、非常にシンプルに構成されていて、気をつけるポイントがはっきりしているからです。

耳をすます場所を、ほんのちょっとだけ普段と変えて、ほんのちょっとだけ違うスタンスで、人の話を聞けば、相手が自分から情報を提供してくれるので、サポートする人は、随分と楽になると思うのです。

クリーンランゲージのエッセンスだけを必要とする人がたくさんいるような気がするのです。


サポートする時、しんどいひとつは、相手の立場に立ってものを推測し続けなければいけないことで、日常的にそれを毎日する必要がある人は、くたくたにならない方がおかしいくらいに感じます。

サポートする役割が回ってきやすい人は、自分もそうですが、そもそも感受性が強い人が多いように見受けます。
ただでさえ強い感受性で、他者のしんどい、つらい、苦しいに、共感という名の同調を続けた時、疲れ果てるのは当たり前です。

私は、過去、感じることがしんどくてたまりませんでした。
私の感受性は非常に強いです。
トレーニングはしてますが、それでもしんどくて、仕事に疲れ果てていたのです。
共感しなくていい、それでも人はサポートできるとクリーンランゲージで知った時、そして、実際にそうだった時、むしろ感じないように努力する時の方が、クライアントの反応がより深く、クライアントのパフォーマンスが上がるのをこの目で何度も見た後、私はこれまで覚えたほとんどを手放しました。

十数年かけて覚えた知識のほとんどを。

さて。

専門用語として使う共感と、一般用語の時の共感には、少し意味の異なりがあります。

わかる〜!そうそう!というのが一般的な共感の意味。

「あたかも」自分のことである「ように」、が専門用語の共感です。
この「あたかも」がものすごく重要で、人と自分の問題は必ず分かれていますし、同じように感じるということではないのです。


この「あたかも」が、セッション上の共感は必要で、職業的にやる人は、そこはトレーニングをしています。
だから、しんどくならない。

日常的にサポートをする役割にあたる人は、人をサポートする時に共感的な態度が必要だということは、知識として持っていることが多いように感じますが、その共感は、普段、わかる〜!共感する〜!と使う時の共感とは、質が異なります。

一般用語の共感は、同調に近いニュアンスのような感じがしています。
サポートの時の共感は、少しニュアンスが違いますが、言葉が同じなのでややこしいのだと思います。


そもそも感受性が強い人が、しんどい、つらい、悲しい、苦しい、と「共感という名の同調」を続ければ、疲れ果てるのは当たり前です。


日常で、クリーンランゲージが使えたら、どんなにたくさんの人が楽に軽やかにサポートを楽しめるようになるだろう?と私は思ったのです。

そのエッセンスを、日常に。。。


さあ、頭を使いましょう。

休みの日は、家族と過ごしたい、友達と過ごしたい、眠りたい、自分を成長させるため、意識を高めることにお金を使う価値を見出さない、しかし、人をサポートする実践力が非常に高い人達に、いかにすれば、私は、クリーンランゲージのエッセンスを届けられるのか?

私は、市井を生きる普通の人達に、クリーンランゲージを伝えたい。
それらの人は、すでに成功した人より、潜在する能力は大きいのです。
そして、人数が多いのです。
そして、実際に現場でサポートしているのです。

人数が多い人達が、その才能を活かしてサポートを楽しめるようになれば、社会はもっともっと良くなる。



そして私は、私が持つ全ての要素に意味を見出したのでした。

私は難しい話を簡単にして話すのが得意です。
もっともっと簡単に、噛み砕くために、さあ、学べ、、、と、学ぶことが残ったのでした。